来年の5月から裁判員制度 が始まります。
先日NHKのラジオで、特集が組まれていました。番組内のアンケートでは7割を超える方がこの制度そのものに反対しているようでした。それを聞いて、この国に民主主義は難しいと改めて感じました。
繰り返して書きますが、民主主義とは国民に主権があるということであり、裁判に関しても主権者たる国民にその判断が委ねられるということではないかと思います。
番組の中で比較的多い意見に、「人を裁く」ことなんか出来ないという常識的な意見が多かったのですが、それは当たり前の事で、裁判は人を裁く制度ではないと私は考えています。
では、何をすることかといえば、人が犯した犯罪を裁く制度であるということ。とても似ているような感じがしますが、私には根本的に違うように思えます。人には全て、長短、善悪が存在しています。法律上の犯罪まで犯す人は少ないでしょうが、道義的な罪を犯す人はとても多いはずです。
裁判の最も重要なことは、犯罪を犯した人に刑罰を与え反省を促すということもありますが、同じような犯罪を二度と繰り返さないということにあると私は考えています。主権が国民にあるということは、君主制とことなり、裁く立場だけではなく、裁かれる立場に陥ることがあるということです。
では、どうすれば裁かれる立場にならないのか?それを検証するのが裁判の大きな意義ではないでしょうか。とかく裁判では判決が重要視され、全てはそこで決まってしまい、かつ終わってしまいます。検証した様々なデータは書庫の中に葬り去られて日の目を見ることはないでしょう。
これでは犯罪が減るどころか増えていくしかないのではないでしょうか。ここにも国民に主権がないことを証明していると私は思います。加害者を減らすことは言い換えると被害者を減らすことになるのです。国民の多くは加害者にならない自信があるのでしょうが、恐らく被害者にならない自信はないでしょう。
君主は決して被害者にならない。しかし、主権者たる国民には被害者になる可能性があるのです。だから、国民が裁判に参加しなければならないと私は思います。しかしながら、今の裁判員制度であれば、参加する可能性は格段に低い。
恐らく、宝くじを引くのと同じ確立ではないかと思います。従って、最も重要なことは、裁判で検証された様々なデータをいかに有効に活用するかになると思います。活用する機関はでまず考えられるのは、文部科学省や各教育委員会になるでしょう。
犯罪は多岐に渡るので、恐らく全ての機関で利用することが欠かせないと思います。そうするためには、裁判で得たデータを管理するデータベース組織が一番重要になると思います。そこから必要に応じて様々な情報を必要な機関に提供したり、研修したりして周知徹底する必要があると思います。
とても面倒くさいことです。しかし、前にも書いたように民主主義とは面倒くさいシステムなのです。何故なら主権が全ての国民になるのですから。そこには聖人君主から犯罪者までいるわけです。でも、面倒くさいのは最初のほうだけなのです。
もし、制度が上手く機能していけば、きっと犯罪は減ってくることでしょう。それも比例的に減っていくのではなく、加速度的に減っていく。もちろんゼロになることはありませんが、主権者たる国民が流す涙は劇的に減っていくと思います。
きちんと適正に努力していれば、人類は年々幸福になっていくはずなのです。やり方が間違っているから年々悪くなり、明るい将来が描けなくなる。他人を信じられなくなり社会が崩壊する。それを許しているのは主権者たる国民であるということを今一度考えなくてはいけないと思います。