大本開祖・出口なおの後継者にして恐るべき予言者
亀山城は、山陰からの京都への入り口、丹波亀山に築かれた、明智光秀の居城である。この城を見学する場合は、所有者であり管理者である、大本本部に申し入れをする必要がある。
大本の開祖、出口なおがそのあとを託したのが、娘婿として養子となり、大本を巨大教団に育てた出口王仁三郎である。その王仁三郎が丹波亀山の出身であった縁で、大本は亀山城を購入し、現在ではその本部となっているのである。
出口なおは「御筆先」と呼ばれる自動筆記を行い、その内容は、現在『大本神諭』としてまとめられている。それは唯一「御筆先」を正しく理解できた王仁三郎が重複部分を削り、体裁を整えたあとのものである。
王仁三郎は幼いころから神童と呼ばれ、わずか13歳で小学校の代用教員に任ぜられている。正義感の強い王仁三郎は、さまざまな仕事で周囲とぶつかり、また、反社会勢力と争うこともしばしばであった。
反社会勢力との争いの9回目の時、生死の境を彷徨う怪我をし、松岡天狗と名乗る神使に高熊山に運ばれた後、飲まず食わずの荒修行をさせられ、ここで神人合一の境地に達したという。
なおが日清・日露の両戦争を予言したことは先述した。同様に王仁三郎は、大正3年(1914)に「今すぐ欧州で戦争が起きる」と、第1次世界大戦の開戦を公開で予言。翌月の6月28日にサラエボでセルビア皇太子が暗殺され、第1次世界大戦に発展したのは周知の通りである。
