創造的発見の動機づけとなる「メタファー」 – WirelessWire News

 

「創造的発見の動機づけとなる「メタファー」」(WirelessWire News)がちょっと面白い。

 

「井山弘幸(いやま・ひろゆき)

新潟大学人文学部教授を経て、現在同名誉教授。専攻は、科学思想史、科学哲学。好みの主題は、幸福論、偶然性、科学と文学、物語論、お笑い文化論。趣味は、落語などの演芸鑑賞、ピアノ演奏、旅行、ドラマ鑑賞。著書に『偶然の科学誌』、『現代科学論』、『鏡のなかのアインシュタイン』、『パラドックスの科学論』、『お笑い進化論』など。訳書に、『知識の社会史』、『科学が裁かれるとき』、『ハインズ博士の超科学をきる』など。現在、ピーター・バークの『博学者論』の翻訳中。」

 

「「男は狼である」というのは、46年前のヒット曲にあるメタファーである。しかし、よく考えてみると「男」にも「狼」にも相互類似性は認められない。これがある種「悪口」として作用するのはなぜなのか。野生の狼は人間を襲ったりしないし、むしろ家畜化して犬になるくらいの適性と品格がある。

 哲学者ブラックの古典的な著書 Models and Metaphors, 1962 によれば、こう解釈される。「男は狼である」と聞くと、男はますます狼に近づき、他方、狼の方は一層人間味を帯びてくる。互いの意味空間は変容して、新たに混成概念を形成する。この際に、男でもない、狼でもない、もともとは無かった新しい意味の創出が起きる。つまり「豹変して女性を襲う色情魔」は、相互作用の結果生まれたことになる。本当にそうなのだろうか。」

 

「人類学者のリチャード・ランガムは『善と悪のパラドックス ヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史』(2020年)のなかで、ホモサピエンスが進化を遂げる過程を自己家畜化と捉える。種内での殺し合いを未然に防ぐために、反応的攻撃性を抑制する淘汰圧が働いたと言う。個体の暴力への衝動を抑制するために、言語や仕種での応酬がなされる。最終的には刑罰に訴えるにしても、それ以前の段階で、批判や非難の言語による戒めが必要だ。悪口の起源は暴力の抑制だった、という見方もできるのだ。」

 

 

小松 仁