予防できない認知症。自分を疎外するのは、老いや死を受け入れない態度である – WirelessWire News
「予防できない認知症。自分を疎外するのは、老いや死を受け入れない態度である」(WirelessWire News)がちょっと面白い。
「岡村 毅(おかむら・つよし)
1977年米国生まれ、2002年東京大学医学部を卒業し医師免許取得。東京大学大学院にて医学博士取得。精神神経学会専門医・指導医、老年精神医学会専門医・指導医、精神保健指定医の資格を持つ。東京大学医学部助教を経て、現在は東京都健康長寿医療センター研究所研究副部長として高齢者のメンタルヘルスの研究に従事する。上智大学グリーフケア研究所非常勤講師、東京大学非常勤講師、大正大学地域構想研究所非常勤所員を兼務する。またNPO法人ふるさとの会の顧問として、ホームレス支援に従事する。」
「多くの病気が治るようになった、と先に書いた。確かに死ぬことは大幅に減った。しかし、病気の合併症や後遺症がなくなるわけではない。例えば、糖尿病の治療や管理は進歩した。したがって、多くの人が網膜症(目が見えない)、腎症(透析)、神経障害(しびれなど)と共に生きねばならないのだ。現代社会の高齢者の多くは障碍と共に生きている。私たちは、長く生きれば障碍と共に生きるという現実に直面しつつある。」
「仏教の「中部経典」にこんな話がある。ある旅人が大河を渡ろうとした。筏を作って無事にわたった。もし旅人が「この筏は大変役に立った。この筏は捨てるには惜しい。担いで道を歩いて行こう」と思ったとしたら、それは間違いである。「この筏は大変役に立った。だが、この先は不要だ。この筏を捨てて行こう」と思わねばならない。ブッダは、誤った教えは捨てなければならないし、時には正しい教えさえも捨てていかねばならない、とこの筏の話で言っているのだ。老年学ですら捨て去るときが来るかもしれない。」
「老いや死を受け入れない考え方に基づくと、このような高齢者をケアすることに意味は薄い。「どうせもう治らない、残念な人たちだ」と思ったら、虐待まであと一歩である。老人病棟のスタッフは、私の見るところ、ほとんどが患者さんの尊厳を守り、愛情をもってケアをしている。だが、最期をどのようにケアするかということは、きちんと教えられていないように思われる。また、自分の気持ちの持ちようや死生の捉え方についても、きちんと学ぶ機会は与えられていないようだ。これからの課題であろう。」
「デジタル化が進み、社会が人工物であふれる現代において、私たちの生身の身体(老いや死から逃れられない内なる自然)の有限性は、いっそう際立っているように思われる。老いや死を受け入れない態度は、自分たちを疎外していることに他ならない。では、老いや死を受け入れる医療はどのように実現すればよいのだろうか? 千年単位でこの問題を扱ってきた宗教者との協働も視野に入れる時期が来たのかもしれない。」
小松 仁
