Modern Times | 紙テープのパステル画から生まれた、世界初のデジタル画像処理

 

「Modern Times | 紙テープのパステル画から生まれた、世界初のデジタル画像処理」がちょっと面白い。

 

「デジタル技術は、思わぬ手法から発展することがある。火星の表面の撮影データは、人間がパステルによって浮かび上がらせることで可視化され、これによりデジタルはさらに「使える」技術となった。」

 

「ソ連が月や太陽系の各惑星へと探査機を送り始めたのとほぼ同時期から、アメリカの太陽系探査も本格的に始動した。

アメリカで太陽系探査を目指して動き出したのは、米陸軍の資金で運用されていたカリフォルニア工科大学のジェット推進研究所(JPL: Jet Propulsion Laboratory)だった。JPLは第二次世界大戦時に軍用機の離陸を補助する推進器(JATO:Jet-fuel Assisted Take Off)の研究開発から始まった組織だった。戦後もしばらくは軍用のロケット技術の研究が中心だったが、1954年になって、陸軍のレッドストーン工廠(アラバマ州ハンツヴィル)にいたウェルナー・フォン・ブラウンのグループと協力して、1955年に行われる国際的な地球観測イベント「地球観測年(IGY)」に合わせて、地球周辺の高層大気や磁場を観測する人工衛星を打ち上げる構想が持ち上がる。この協力体制に基づく研究が、後にアメリカ初の人工衛星「エクスプローラー1号」となり、JPLは「Jet」というロケット研究の名残を残した名称のまま、アメリカの太陽系探査の中核組織へと衣替えすることになった。」

 

「このためにJPLは1958年1月から、陸軍の資金を使って世界3カ所の太陽系探査のための通信施設の整備を開始した。現在でも、全世界のどの国も太陽系探査が行う際に利用する「ディープ・スペース・ネットワーク(DSN)」である。カリフォルニア州ゴールドストーンを中心に、当初はナイジェリアとシンガポールに通信局を置き、初期の探査機の追跡を行っていたが、1958年12月にJPLが陸軍から設立されたばかりのNASAに移管されると、NASAはDSNに多額の投資を行った。」

 

「当時のコンピューターは、マリナー4号から受信したデータから画像を再構成するのに数時間かかった。そこで運用チームはその時間を使って別の方法でも画像を再構成することにした。少しでも早く正しいデータがテープレコーダーに記録されているかどうかを確認したかったのである。

 マリナー4号から受信したデータを、コンピューターが画像に組み上げるまでの間、グラムらテープレコーダーの運用チームは手分けしてせっせと紙テープにパステルを塗っていった。

数時間後、コンピューターが再構成した画像がディスプレイに写し出された時、失望の声が上がった。ほとんど真っ白で何も写っていなかったからだ。あたかもマリナー4号の撮影が失敗したかのようだった。」

 

「しかし、人海戦術で色を塗った紙テープを並べてみると、そこには明らかな模様が浮かび上がっていた。つまりデータには地形の画像情報が含まれていたが、コンピューターの再構成した画像は、その違いをディスプレイに出力できなかったのである。機械が表示できなかったちょっとした数字の違いを、人が紙テープにパステルを塗ることで可視化できたのだった。」

 

(写真:Alones / shutterstock)

 

松浦晋也「

ノンフィクション・ライター。宇宙作家クラブ会員。 1962年東京都出身。日経BP社記者を経て2000年に独立。航空宇宙分野、メカニカル・エンジニアリング、パソコン、通信・放送分野などで執筆活動を行っている。『飛べ!「はやぶさ」小惑星探査機60億キロ奇跡の大冒険』(学研プラス 2011年)、『はやぶさ2の真実 どうなる日本の宇宙探査』(講談社新書 2014年)、『母さん、ごめん 50代独身男の介護奮闘記』(日経BP 2017年)など著書多数。

 

小松 仁