生成AIは「作者」を殺すのか。そもそもテクストは作者のものなのか – WirelessWire News

 

「生成AIは「作者」を殺すのか。そもそもテクストは作者のものなのか 」(WirelessWire News)がちょっと面白い。

 

「「誰が話そうとかまわないではないか」

冒頭の言葉は、サミュエル・ベケットの小説『反古草紙』に出てくるフレーズで、ミシェル・フーコーが、1969年にフランス哲学会で行った「作者とは何か?[What Is an Author ?]」と題する講演(同名の論文としても出版)の中で引用したものである。

AI技術とは直接的に関係のない文脈で使用された文章だが、AIを用いた小説や絵画などの創作活動が議論を呼ぶ昨今、その作品は果たして誰のものか、誰によって作られたものなのかという問いは、フーコーが提起する問題と深く関わっているように思われる。」

 

「こうした作者のあり方を批判した一人が、ロラン・バルトである。フーコーが「作者とは何か?」を発表した前年の1968年、バルトは論文「作者の死(The Death of the Author)」を出版し、近代において神のような存在として創造力を奮う作者は「死んだ」、つまり作者は作品の「起源」ではないのだと論じた。代わって、読者が自由に文章の内容を読み取り、分散的に意味が生まれていくテクストがあるのみだと主張した。

 「テクストとは多次元の空間であって、そこではさまざまなエクリチュールが、結び付き、異議を唱え合い、そのどれもが起源となることはない」とバルトは論じる。テクストは作者ではなく読者の手に委ねられ、「誰が話そうとかまわない」わけである。」

 

 

小松 仁