どこへ行く、AIアート? – WirelessWire News

 

「どこへ行く、AIアート? 」(WirelessWire News)がちょっと面白い。

 

「日々の会話の中で、我々はどうやって冗談や皮肉といった、少しひねった表現を理解するのだろうか。この問いに対して、斬新な答えを提供したのは、言語哲学者のグライス(P.Grice)である。

 彼の主張によると、ひねりのない普通の会話では、我々はある種の標準的なラインを守っている。彼はそれをカント(I.Kant)のアプリオリについての議論に従って、量、質、関係、様相という四つの公準に従うものとした。面白いのは、この公準が破られると、そこにいろいろなニュアンス、あるいは含意(implicature)が生じるとグライスが主張した点である。

 例えば、普通に会話する時は、我々はそこそこ常識的な量をしゃべるものだが、もし誰かがそこで、異様に短い返事(あるいはその逆)をしたとすると、聞き手はそこに何か普通ではないものを感じる筈である。それは相手の怒りや戸惑い、あるいは逆に何かを隠しているといった不穏な雰囲気かもしれない。」

 

「この考えに基本的に同意しつつ、四つの公準は結局「関連性」(relevance)の原理にまとめられると主張したのが、スペルベル(D.Sperber)とウィルソン(D.Wilson)である。

「聞き手は何か発話を聞くとその意味を探るが、それが文脈に沿ったもの(関連性がもともとあるもの)であれば、その意味理解にそれほど時間はかからない。しかし内容が、一見会話の文脈から離れていると、その(裏の)意味は何かという処理コストがかかる。時間をかければかけるほど、その発話のニュアンス(含意)の深読みはできるが、その分コストも増える。会話の理解とはこの二つの間の収支バランスで決まるというわけである。」

 

 

小松 仁