和樂の「薩摩弁と会津弁、言葉が通じないから英語で会話!?大山巌・捨松にのしかかった明治の日本語問題」は面白い。
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・捨松(当時は“山川さき”という名前だった。)は幼少の頃に戊辰戦争を目撃している。しかも彼女は焼夷弾の処理担当という、極めて危険な役割に従事していた。
・捨松はアメリカの文化に適応し、しかも現地の学校内で優秀な成績を収めた。そして10年の留学を見事にやり遂げたのだ。
日本に帰国した頃の捨松は、日本語をすっかり忘れていた。明治政府としては「海外の事情に精通した日本人」を育成するつもりだったが、結果的に「日本語ができない日本人」が誕生してしまった。
・捨松が言葉の問題に苦悩していた頃、彼女に結婚の話が舞い込んだ。
相手は大山巌だ。会津若松城に焼玉を降らせた張本人である。
これには捨松の実家は大反対するが、巌は西郷家をも巻き込んで求婚してきた。西郷隆盛の弟の西郷従道までこの話に割り込んできたほどだ。
とりあえず両家はふたりを会わせてみることにする。実は巌は捨松に一目ぼれしてしまったのだが、残念ながら言葉が通じない。それもそのはずで、巌は東京移住後も薩摩弁の矯正ができないことで知られていた人物だ。薩摩弁と会津弁。会話が成立するはずもない。
・が、幸いなことに巌は海外留学を経験し、英語、フランス語、ドイツ語に精通していた。試しに英語で話してみると、その瞬間から会話が盛り上がった。
巌と捨松の夫妻は、その後「西洋かぶれのおしどり夫婦」として名の知られた存在になる。
IT起業研究所ITInvC代表 小松仁
