National Geographic「4千年前の中国・石峁(シーマオ)遺跡、謎のヒスイと要塞 初期の中国文明はどのように変遷したか、新たな見方を提示」が面白い。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/081700471/?P=1
階段状ピラミッドを冠した4300年前の要塞都市、石峁(シーマオ)遺跡。初期中国史の定説に疑問を投げかけている。 (PHOTOGRAPH BY BEN SHERLOCK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
石峁遺跡で見つかった石垣の彫刻。考古学者の報告によると、「この階段状ピラミッドに特別な宗教的な力を授けたのかもしれない」という。 (PHOTOGRAPH BY BEN SHERLOCK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
・その石垣は、万里の長城の一部ではなく、壮大な要塞都市の名残だった。発掘は今も行われているが、高台にあるピラミッドやその周囲を取り囲む全長10キロを超える防壁、壁画やヒスイの工芸品に彩られた聖なる場所、そしておぞましい生け贄の証拠が見つかっているという。
・放射性炭素による年代測定の結果、ここ石峁(シーマオ)遺跡の一部は、4300年前に遡ることが明らかになった。万里の長城の最も古い部分より2000年近くも古く、確認されている中国最古の王朝、殷(商)が現れる500年も前のことだという。
・石峁は、絶えず危険にさらされることを考慮して設計されたようだ。それは、禿尾河(Tuwei River)に近い丘の上に建設されたことからもうかがえる。石峁の支配層は、敵からの防衛手段として、周辺で一番高い丘の上に、長方形の20段のピラミッドを建立した。
これは、街のあらゆる場所から見えた。高さは、ほぼ同時期(紀元前2250年)にエジプトで建造されたギザの大ピラミッドの半分ほどだったが、底面積は4倍も広かった。石峁の支配層は安全を求めて、高台の最上部に住んだ。そこには、専用の貯水槽や工房、さらには儀式用の神殿と見られる建造物を備えた複合施設もあったらしい。
・石峁が作られた当時は、気候が比較的温暖、湿潤で、黄土高原に人口が流入していた。だが紀元前2000年から紀元前1700年にかけて急激な気候変動が起こり、乾燥した寒冷な気候になったと、歴史の記録が示している。湖は干上がり、森は消え、砂漠が広がった。そして石峁の人々は、どこかへ移り住んでいったようだ。
IT起業研究所ITInvC代表 小松仁

