



石垣は自然石のまま牛蒡を差し込むように積み上げたもので頑丈な造りになっている。
天守は、異なる屋根様式を持ち、切妻破風、唐破風や数人が入れる小部屋で隠し鉄砲狭間が設けられている千鳥破風など、三層三階の構造となっている。
天守からの眺めは琵琶湖、伊吹山脈など素晴らしい。
また、地震の間(御茶座敷)というのがあって、日常は御茶座敷として使用し、地震の時に逃げ込むための耐震構造とされる部屋も現存しており、興味深い。
付属する玄宮園は、池泉回遊式で中国湖南省の庭園にちなんだものらしい。
長浜は、長浜城の城下町、大通寺の門前町で、北国街道と琵琶湖水運の拠点として栄えた町で、黒壁スクエアという洒落た一角がある。
ここで、鯖そうめんを昼食として食べたが、中々おいしかった。
少し南側にある多賀大社は、「お伊勢参らばお多賀へまいれ、お伊勢お多賀の子でござる」と言われるように、祭神が伊邪那岐大神(いざなみのおおかみ)と伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)で、伊勢神宮の天照大御神(あまてらすおおみかみ)はじめ神々の親神とされている由緒ある神社のようだ。
更に一寸南下すると、所謂、湖東三山がある。
西明寺は池寺とも呼ばれる天台宗の寺で、鎌倉時代に建てられた本堂(国宝)や壁画が残る三重塔(重文)、庭園「蓬莱庭」などがあるが、モミジが多く、シーズンになるとさぞ見事だろうと感じた。
金剛輪寺は、奈良時代行基が開山した寺で、秘仏本尊聖観世音菩薩を行基が彫った際、木肌から生血が一筋流れ観音に魂が宿ったという言い伝えが残されているらしい。
ここも「血染めの紅葉」と呼ばれるモミジの時期はざぞきれいだろうと思う。
百済寺(国史跡)は、聖徳太子の発願で創建された古寺で、像高2.6mの十一面観音を本尊にしている。
琵琶湖の南岸に、天智、天武、持統の天皇の産湯を汲んだ「御井(三井)」にちなみ三井寺(園城寺)と呼ばれる寺があり、金堂(国宝)、鐘楼(重文)、回転式の八角輪蔵である一切経蔵(重文)などがある。
さらに隣接する圓満院門跡の中に、大津絵美術館と呼ばれる一角があり、江戸初期大津の宿で軒を並べ街道を行き交う旅人等に縁起物としての神仏画を描き売ったのが始まりとされ、ユーモアを含んだ風刺画や狂歌を添えた道徳的な図など特異な民画の展示スペースがあり、大変面白い。
今日代表的な大津絵とされる十種の絵柄は、長い歴史を経て特に親しまれたものが後になって組まれたものとのことである。
さらに一寸南下すると、石山寺にいたる。
聖武天皇勅願で開基された寺で、西国三十三か所巡礼十三番の札所にあたり、本堂(国宝)は懸下木造建築最古のものとされ、岩盤の上に建ち本尊(如意輪観音)を安置する正堂と縣造の札堂、これらをつなぐ相の間からなり、紫式部が参籠し源氏物語を書いたところと伝えられる「源氏の間」がある。
上の方に見える多宝塔などの他、境内には天然記念物の硅灰石の奇岩があり、石山の名前のもとになっている。
次に近江八幡に戻り、八幡堀や近江商人の旧西川家、旧伴家などの住宅を観て回った。
旧西川家の床の間に、「先義後利栄 好富施其徳」(義を先にし利を後にすれば栄え 富を好とし其の徳を施せ)という家訓が掛け軸になっていたが、この精神は近江商人に共通のもので、それゆえに400年も活躍できたというのは、説得力がある。
長浜港から30分ほど船に乗ると、竹生島にいたる。
名前の由来は、「神を斎(いつ)く島」で、西国三十三所霊場の第三十番札所の宝厳寺本堂(弁才天堂)や唐門(国宝)、都久夫須麻神社本殿(国宝)などがあり、狭いながら奥深い。
この旅は、車で自由に移動しながら、興味を引いたところを巡ったもので、毎日1万5千歩前後歩きもし、温泉で疲れを取ることもでき、楽しい行程であった。
それにしても、改めて日本の歴史文化の奥深さを再認識できた旅となった。