イメージ 1

曾野綾子さんの一連の著作は人生の役に立つと感じるものが多い。

最新刊の「人間にとって成熟とは何か」を読んで改めて感じたが、3年ほど前の「老いの才覚」も非常に考えさせる内容が多かったのを思い出す。

「振り返れば、ひと昔前までは、人は死ぬまで働くのが当たり前でした。
七十歳になっても八十歳になっても籠をしょって、石ころだらけの坂道を上って畑に行っては仕事をし、取れた野菜を背負って帰ってくる足腰がしっかりした老人が多かったものです。・・・

私は、世界の動きの中に加えてもらうことが面白いから、一生、生産と結びついていたい。
できれば、ただ自分が生きるため以上の働き、つまり病気や弱っている人の分まで一日でも長く働かせていただきたいと願っています。・・・

老いて、自分の能力がだんだん衰えてきたら、基本的に、生活を縮めることを考えなくてはいけません。
荷物も、自分が持てなくなったら、持たないことです。
ある女性は、今の私のように足が悪くて、重いものを持つことができない。
それで、小さなバッグを一つ肩からかけて、お土産にスカーフ一枚とネクタイ一本を買い、そのバッグに収めたとおっしゃる。
身の程というものを知って、物資と付き合っている賢い方だなと思いました。・・・

見栄を張って暮らす必要はありません。
自分の身の丈に合わせて、好みをほどほどに叶える規模というものがあるはずです。
長い間生きてくると、いくら隠しても所詮、その人がどんな生活をしているか大体のところはバレるものだから、見栄を張っても仕方がない、と気づく。
晩年が近づけば、何もかも望み通りにできる人など、一人もいないことが体験的にわかってくる。
分相応を知るということは、長く生きてきた者の知恵の一つだと思います。」

「人間にとって成熟とは何か」の中に、定年後、自分のしたいことを見つけていない人も、老人なのについに成熟しなかった人だと言っていいだろう、自分の生活(掃除、炊事、洗濯など)さえ自分でできない人も、自分の生きる場がないように思えて空しく感じているだろう、という一節がある。

「若いエリートでさえ、自分が今いる場所に、果たして自分がほんとうに必要なのだろうか、と疑っている人がいるだろう、自分を首にしても明日から代わりがあると思うと、自分の尊厳に自信が持てなくなるからである。」

また、人生には「為せば成る」のではない場合もあり、人間にとって大切な一つの知恵は、諦めることでもあり、諦めがつけば、人の心にはしばしば思いもしなかった平安が訪れる、しかし現代は、諦めることを道徳的にも許さないおかしな時代になっており、いつどの時点で、どういうきっかけで諦めていいのか、そのルールはないが、その人の心が、その人に語りかけるしかない、というのは、本当だなと思う。