イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

柳園到着予定の早朝4時20分の前、3時半ころ車掌が起こしに来てくれた。

何しろ中国内は一律の北京時間で時差の設定がないため、西部では全く夜中といった感じであった。

柳園から敦煌に車で入る。
なお、観光シーズンの始まる6月上旬から敦煌駅まで列車が来るとのことらしい。

ラサに至るまっすぐな道。
そう言えば、他でも見かけた円錐形の小さな盛山群はお墓とのこと。

行先に涅槃の寝た形の山が遠望できる。

古代の関所跡“陽関”は、360度視界の広がる中、漢代に造られたという烽火台が崩れかけて残っているだけの風景だが、何とも言えぬ悠久たるロマンを感じる。

唐の詩人王維の有名な詩「送元二使安西(元二の安西に使するを送る)」を何度も復唱した。

「渭城朝雨裛輕塵 客舍青青柳色新 勸君更盡一杯酒 西出陽關無故人
渭城の朝雨 軽塵を裛し
客舎 青青 柳色新たなり
君に勧む 更に尽くせ一杯の酒
西のかた 陽関を出づれば故人無からん」

敦煌の南西にある西千仏洞は、有名な莫高窟の西にあるためこう呼ばれるが、壁画の破損がひどい。

“ゴビ”は、元々モンゴル語で砂礫 (されき)を含む草原の意味で、ゴビ砂漠のうち小石混じりの平坦な荒地を、ゴビ灘[“タン(灘)”は、砂浜、河原の意の中国語]と呼ぶ。
砂には赤、黄、緑、白、黒の五色がある。

敦煌の少し南に、東西40km、南北50kmほどもある砂の峰“鳴沙山”が広がっている。

頂上までラクダに乗っても1時間ほどかかる。

脇に“月牙泉”という200mx50mほどの小さな泉があり、漢の時代から枯れたことのない遊覧のポイントというのも、砂漠の真ん中で見ると実に不思議な感じがする。

莫高窟は敦煌の東南25kmほどに位置し、5世紀前半北涼期から北魏、随、唐、五代、元を通じて、彫られ続けた。

第57窟は、初唐時代のもので、色白で透き通る様な肌、頬にはうっすらと紅がさし、伏し目がちの視線、やや微笑んだ口元、たおやかな姿態、金の装飾具などを備え、故平山郁夫画伯が莫高窟随一の美菩薩とし、美人窟とも呼ばれるのは尤もと感じた。

この様式は、中国国内に類似したものが残っておらず、日本の奈良法隆寺にのみあるというのも、奈良がシルクロードの東の終点とも言われる所以だろう。

第156窟は、晩唐時代のもので、前室に「莫高窟記」の墨書絵、主室に「張議潮出行図」、「宋国夫人出行図」で有名なものである。

これら特別窟の他、いくつか一般窟も見ることができたが、説明して頂けた研究員の方は日本への留学経験があり、非常に判りやすく有り難かった。

754窟もあるということで、元々、岩山を上から掘り進みながら洞と仏像を彫りあげていったらしく、大変な技術、難しさを伴った事としのばれる。