10月下旬ベトナムを縦断する形で回ってきた。
北部ではハノイから陶磁器で有名なバチャン村に寄った。大きな壺が印象的。
道路は土埃がひどい。また、藁を燃やす畑の煙でハノイの遠景も霞んでいる。マスク姿が多い。牛が横切っていく。
バイクの数に圧倒される。2人乗りも多く、3人、中には4人乗りもいる。
高速道路でもバイクは側道で無料。対抗車線のバイクが右側を走ってくる。

ハロンや他の北部のホテルでは、パスポートをフロント預けの強制。社会主義が残っている感じ。
欧米人の姿が非常に少ない。地続きで来られるせいか中国人観光客が非常に多い。
ハロン湾クルーズ船は500隻もあるそうで、宿泊設備付きのクルーズ船も。欧米人も少しいる。一寸したレッドクリフ(赤壁の戦い)の世界。
小さな島が無数にあり、桂林の水墨画の世界を思い出す。


小さい子供のいる家族が土産品を売りに小舟で乗り付けてくる。これも桂林やバリ島の風景。これらの子供を見ているとせつない。
ティエンクン(天空)鍾乳洞は、1993年に発見されて1998年から公開されている新しい大きなもの。
バスのクラッチが途中の休憩ポイントで壊れる事故発生。結局ハノイから代車が来ることに。1時間半以上動けない。
途中、屋根の壊れたバスや、代車らしきものに荷物を入れ替えている風景も。余り珍しくないのかもしれない。
ハノイからハロンまでディーゼル機関車で朝6時から午後4時までかかる由。ハノイからホーチンまでは1700km、32時間とのこと。車に頼ることになる。
北部でも米は2期作。高速道路の道端でもコメを干している。
ただし、農作だけでは無理で副業としてアヒルや豚、牛を飼っている模様。
ベトナム人女性の夢は1,2,3,4で、結婚(1人の旦那)、2人の子供、3階建ての家、4輪の車。
税金の関係か間口4mの規制で、幅の狭い家が続く。
昔のTVドラマ「おしん」が人気で、セリフの一部が日常会話に。
COM(ご飯)の看板が目につく。
フエからホイアンに回る。
長いトンネルで5分程度かかった。
高温多湿のせいか戸や窓を開け放している家が多い。
バイク用のガソリンか、小型の瓶の液体を道端で売っている。
こちらは水牛が目立つ。
フエ宮は予想以上に広大だった。破壊された部分は修復予定とのこと。
さらに、カイディン帝廟、ティエンムー寺に回る。

バイクの事故を初めて目撃。飲酒(ビール)が原因らしい。豚を荷台に積んだバイク。
それにしても、交通信号が殆どない中、これだけのバイクがひしめき合って運転しているのに、滅多に事故が起きないというのは奇跡に近い。
南部ではパスポート預けの強制はなかった。
ベトナムは無宗教が多いらしいが、宗教のトップは仏教徒。
ティエンムー寺では小坊主さん達が修行中。親のいない子などを引き取っている由。
17歳(?)で僧になるか本人が決めるらしいが、同じ大乗仏教でも日本のお坊さんとは全く違って、戒律が厳しく、お金にはならないそうだ。

ベトナムの人気の職業は、医者、次は警官で、ワイロが取れるからという。
バイクに2人なら効率は良いだろう。中国と同様、将来、軽から小型、中型へと向かうことを考えると、ポテンシャルは極めて大きそう。道路他のインフラも大変だ。
クラクションは、後にいる、追い抜く意味の合図と、後でお礼の意味か頻繁に鳴らすので非常にうるさいが慣れてくるものだ。
南ベトナムの観光客はフランス人、日本人の順とのこと。
北部には四季あり、南部は雨期、乾季と異なる。
このへんは3期作。
世界遺産ホイヤンには、昔、中国人街と日本人街をつないでいた「日本橋」(遠来橋)があり。当時日本人1000人、中国人2000人の規模だったらしい。
海のシルクロード会館になっている古い建物内の中央に滑車があり、昔、洪水の時荷物を階上に引き上げるためのもの。
シクロという自転車式の人力車に乗ったが、案外乗り心地が良い。

ミーソン遺跡に向かう。
リゾート地のせいか欧米人観光客が増えてきた。
ミーソン遺跡はカンボジアのアンコールワット、アンコールトム遺跡を思い出させる。
米軍の爆撃で破壊された部分が多いのは残念。

ホーチミンでは、ビジネス関係らしきを含め客が多い。
ホテル前からちょっと離れた一角に立ち、バイクの群れのすさまじさを実感。
ベトナム人のラッキーナンバーは9。333ビールを飲む。
ミトーからメコン川クルージング。
雨期で濁った水。台風はこちらには来ないので堤防がないとのこと。
タイ、バンコクの洪水がしのばれる。
手漕ぎボートの数も多い。
とにかく暑い。

ホーチミンで、ベトナムしかないという水上人形劇鑑賞。仕組みがよくわからないがちょっと面白い。

広大な市場の賑わいと売らんかなの迫力に圧倒される。
交差点に立っているとバイクの勢い。クラクションの騒音がすごい。
ツーリストセキュリティの係官もちょっと頼りない感じ。
とにかく、まだ貧しいが、ベトナムの勢い、エネルギー、ポテンシャルの大きさを実感でき、日本人より温和らしき性格に親近感を抱いて帰国の途に就いた。