あと1ヶ月もすると新入社員が入ってくる時期となった。
欧米式の採用方式だと、即戦力の人材が年齢、男女に関係なく、また余り固定した時期ではなく組織に参画してくるが、日本では教育制度の問題もあり、戦力になるにはまだ一寸という素材のレベルが入ってくるのが現実である。
ところで、福聚寺のご住職で芥川賞作家でもある玄侑宗久氏が、インタビューの中で、「日本的といわれるものを見失って、システムそのものを無批判に欧米から直輸入する動きが増えているように思います。一番の問題は、人を育てるという意識が薄くなりつつあることでしょう。ヘッドハンティングで人を採れば、人材育成の予算をカットできます。でも、時間とお金をかけて人を育てることをやめてしまって、組織は続いていくのでしょうか。」と問題を投げかけている。
また、「面接で、こいつはちょっと点数は低いんだけど、将来やると思うんですよ、俺の責任で採ってくれませんかという人間が上にいれば、その人の責任で必死に育てますよ。ところがそれがなくなってきた。」という。
組織論から言うと、組織の運営は、どうしても儒教的な発想になりがちであり、期待されるパフォーマンスをとげるには「秩序立って」「役割分担がきっちりして」「組織がピラミッド型」であることが良いこととされやすい。
この「タテの秩序」の儒教に対して、「ヨコの連帯」ともいうべきものが中国では道教として存在し、この相反するような考え方が同時に存在する必要性が今の日本の組織にもあると玄侑氏も指摘している。
今までやったことのない新たな取り組みを、部下が始めようとしているとして、果たしてそれが正しいのかどうか、上司には判断がつかないとしても、それはしようがなく、とにかくその一歩を肯定して先へ進ませるのがよいのだろう。
常に暫定的な目線を持つためにも、相反する2つの考え方が必要なのであり、地位が上がるほど、両方の考え方を意識しなければならないという訳である。
