赤壁の戦いを映画化した「Red Cliff」がTVでも何度か放映されるなど、「三国志」の人気には根強いものがありそうだ。
 
「三国志」とはその名のとおり、魏・呉・蜀の三国が争覇したことから付いたものであり、三国時代のことを叙述した歴史書が、元蜀の家臣で後に西晋に仕えた陳寿によって名づけられた事に由来し、この時代の曹操・孫権・劉備らの争いで有名である。
 
一方、「三国志演義」といって、歴史書の「三国志」やその他の民間伝承を基として唐・宋・元の時代にかけてこれら三国時代の三国の争覇を基とした説話を基として成立した小説があり、逸話や創作が含まれている。
 
「三国志」は公正、慎重に史実を記しているのに、「三国志演義」のほうは、蜀を正統視し、劉備を正義派・善玉に、曹操を敵役・悪玉に仕立て上げ単純化している。
 
実際には、井波律子さんの「読切り三国志」にあるように、曹操は権謀術数に長けてはいたが、単なる悪玉などではなく、超一流の軍事家であり政治家でありさらに優れた詩人でもあったらしい。
 
スケールの大きさからいうと、劉備や孫権とは段違いの傑物だったようだが、そのパーソナリティは極めて複雑で、「三国志演義」で極端に描かれる姦雄という一面も確かにあったらしい。
 
ところで、曹操は戦争においてはよく負けたほうで、何度も瀕死の重傷を負い、さんざんな目にあいながらも、じりじりと勢力を強め中国の心臓部(中原)を制圧できたのは、ひとえにその卓越した戦術によるもので、これから権謀、術数と言われているようである。
 
ところで、成功の陰に必ず回りに優秀な補佐役、ブレーンが存在するのは、現代の創業でも同様だが、曹操にも旬彧(じゅんいく)という最良の謀臣がいたという。
 
彼を中心に、曹操政権の首脳部は、旧時代の最も良質な批判勢力を中心として集まったが、時代を先取りし新しい時代を担うに足る人材をためらうことなく受け入れたところに、曹操の偉さがあるようだ。
 
有能な人材こそ自らの天下統一の夢を実現するための最大の資本だという、ある種のドライな考え方を持っていたようである。
 
「治平は徳行を尚(たっと)び、有事は功能を賞す」という彼の言葉は、これを表しているのだろう。
 
こういったことに思いをめぐらすと、「三国志」はますます面白く、又役にも立つようだ。
 
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