日本在住暦が長く、著書がフランスほか欧州各国でもベストセラーになっている、ドミニック・ローホーさんの「シンプルに生きる」を読んでみて、改めて身の回りからもっと余計なものを整理し、値段は高いかもしれないが自分の気に入っている最低限のものに集約した暮らしにしてみたいと思う。
まずものと上手につきあう方法として、自分が本当に必要としているものを整理し、理想的には、身の回りのものは旅行カバンひとつもしくはふたつに収めてしまうというのは一寸刺激的でもある。
交友関係も整理して、本当の友達と過ごす時間を増やそうというのは、最近、年齢のせいか会っておきたいと思う人に会いたいという欲求を自分でも感じ始めているので、よくわかるような気がする。
例えば白洲次郎も愛用していたツイードのジャケットなど着れば着るほど体になじむようになり、快適な着心地に変わっていくといい、高くても良い、ベーシックで上質なものにこだわるというのもうなずける。
住まいの基本も、「凝縮モード」がひとつの理想で、わずかな、自分が選び抜いたもののみに囲まれた生活こそ理想であるという。
確かに、狭いながらも完璧な部屋の片隅で、好きな本を読みながら一杯のお茶を飲むというのは、至福の時間かもしれない。
ドミニックさん自身、日本に目を向けた契機が、旅行先の米国で禅庭に出会ったことにあるということから、仏教、特に禅宗のシンプルさに注目しているようで、個人の身の回り品一式(着替え一着、お碗、箸一膳、剃刀と爪切り)をすべて箱に収め、常に自分の首に掛けて持ち歩くことを禅僧の理想としている点をあげている。
また、ときに、テレビや活字など、注意をそらすものを遮断して、沈黙の中にどっぷり身をゆだね、自分自身に向き合い、心の中を絶え間なく横切っていくメンタルなごみに注意し、きれいにするチャンスを得るのも、確かに必要と思う。
孤独を通じてエネルギーを充電できるというのは、自分自身の経験からも正しいと思う。
昔読んで今でも本棚にある中野孝次氏の「清貧の思想」を一寸思い起こさせる読後感である。
私自身も含め、いま、国全体が一種のメタボのような満腹感の生活から、思い切って贅肉を落とした生活に切り替え、皆、空腹感の感覚を取り戻し、体が要求する時だけ、必要分だけ口にするような生活に戻していくだけでも、本来のたくましさが再生してくるのはないかと感じている。
