だいぶ前になるが、西澤潤一先生の「光通信50周年」という記念講演があった。
無線通信の世界で、日本は後進国ではあったが、例えば世界で最初に戦争で無線通信を利用したのは日本で、ロシアのバルチック艦隊が対馬海峡、津軽海峡、宗谷海峡のどこを経由してくるかを、海軍に徴用されて特設巡洋艦になっていた商船信濃丸が、五島列島でバルチック艦隊と接触し、連合艦隊に「敵艦見ゆ」と無線で連絡している。
バルチック艦隊のほうも、テレフンケンの無線機を装備し、技術者も同行していたらしいが、残念ながら故障の連続であったらしい。
アンテナに関しても、八木秀次先生が、自分の研究室に来た学生の実験結果の異常な点から、アンテナの基本となる原理を発見し「八木アンテナ」として特許出願している。
同様に、岡部金治郎先生のところで、米国で開発されたばかりのマグネトロンという真空管の特性実験を学生に取らせていたところ異常なカーブが出てきたのを詰めていって高周波で発信する「岡部マグネトロン」を完成させている。
ここで面白いのは、こういった学生実験の誤りとも思われかねない結果を素直に受け取り後の大発見、大発明に至るパターンで、エサキダイオードのトンネル効果でも同様であった。
八木アンテナと岡部マグネトロンで、レーダーの開発直前のレベルにあったが、日本の学界や軍部は、敵前で電波を出すなど暗闇で提灯を灯して位置を知らせるも同然として有用性を理解できなかったようである。
その後、戦争が始まり、欧米の学会や軍部がいち早く八木アンテナに着目しレーダーを作り出し性能を飛躍的に増大させていった話は有名である。
西澤先生自身も、半導体レーザーを発明し特許を出し、電電公社の三鷹通信研究所に持ち込んだりしているが、着手にいたらず、結局これは米国で5年後に実現されている。
アイデアは日本にあっても、外国で実現されるという残念なケースは昔からの伝統のようにも思える。
これは、どうもどちらかというとシーズオリエンティッドなアプローチが日本は得意なのに対し、ニーズ指向の考え方が海外では強く必要かつ利用可能な技術を求める姿勢の差ではないかと感じる。
この傾向が今でも存在し、ビジネスの最後を海外勢に占められているように見えるが如何だろうか。
