
仕事で新潟に行くと、相変わらず「天地人」「兼続誕生の地」といった文字の躍るのぼりなどが此処かしこに見られる。
この小説、ドラマのメインテーマとなっている「義」と「愛」を考えると、そもそも上杉謙信という人物に辿りつく。
謙信は生涯妻を持たず、養子の景勝が後を継いだ訳だが、戦国時代を代表する勇猛無比な武将であると同時に、学芸に深く人格は高潔であったと称揚されている。
民政を重視し、租税を軽くし産業を興し、交通を整え、経済の安定を図る等、政治家としても偉かったようであり、深く仏教を信じ、禅宗と真言宗に帰依し、「謙信」はその法名で、45歳で剃髪し「不識庵」と号している。
また、武将であると同時に、詩人としても優れていたようで、例えば、「九月十三夜陣中作」という詩がある。
霜は軍営に満ちて秋気清し
数行の過雁(かがん)月三更(さんこう)
越山併せ得たり能州の景
遮莫(さもあらば)あれ家郷遠征を憶う
見渡す限り真っ白な霜が、我が陣営いっぱいに満ちて、秋の気配がすがすがしい。
幾列もの雁の群れが空を飛んで行き、真夜中の月が白々と照り映えている。
越後、越中の山々に、手中にした能州を併せたこの光景はまことに素晴らしい。
故郷では遠征のことを案じていることだろうが、ままよ、今夜はこの美しい十三夜の月を静かに賞でよう。
この詩は、上杉謙信が能登七尾城を攻略に際し二日間の休憩を兵たちに与えているときに詠んだという。
激戦の中でこれほどの詩を詠む余裕が、謙信の人物像、器の大きさを表しているように感じる。
ところで、上杉謙信といえば、やはり、川中島、武田信玄ということになるだろう。
江戸時代後期の著名な儒者で「日本外史」を著した頼山陽作で、「不識庵機山を撃つの図に題す」という詩がある。
鞭聲粛粛(べんせいしゅくしゅく)夜河を渡る
暁に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨十年一剣を磨き
流星光底長蛇を逸す
上杉謙信(法号不識庵)の軍はひっそりと鞭音も立てない様にして、夜の内に千曲川を渡って川中島の敵陣に攻め寄せた。
武田信玄(法号機山)側は明け方霧の晴れ間に上杉方の大軍が大将の旗を中心に守りながら迫ってくるのを見つけた。
この戦いでは謙信は信玄を討ちとることができなかったが、その心中を察すると、誠に同情にたえない。
この十年の間一ふりの剣を研ぎ磨いて、その機会を待ったのであるが、うち下ろす刀光一閃の下に、ついに強敵信玄をとり逃がしたのは無念至極なことであった。
この“べんせいしゅくしゅく”というフレーズは、昔の時代劇や、漫画によく出てきたもので、意味も分からず頭に残った思いがある。
武人と詩人の心情については、古今東西を問わず存在するように思うが、アジア、特に日本や中国では有名であるようだ。
明治時代の軍人、乃木希典は、日露戦争で旅順総攻撃を指揮し、この時の戦死傷者は5万5千人に達し、また、自らの長男、次男を最前線に送り、戦死させ、軍事的才能は何かと論じられているが、むしろ詩人として捉えたほうが良いかもしれない。
「愧(はず)我何の顔(かんばせ)あって父老に看えん」という詩とともに、南山(長男、勝典が戦死した地)の戦跡を弔い、山上の戦死者の墓標にビールを供え、英霊を慰めた時の詩「金州城下の作」は、戦地にありながらも自然を眺め、花鳥風月に心を傾け、心情を詠む武人の姿が浮かんでくる。
山川草木転(うたた)荒涼
十里風腥(なまぐさし)新戦場
征馬(せいば)前(すす)まず人語らず
金州城外斜陽に立つ
美しかりし自然の山や川、草や木も、今は荒れはててすさまじく、見るかげもない。
十里四方血なま臭い風が吹き、戦場の跡は痛ましい。
戦馬も疲れて進もうとせず、将兵もおしだまって、語ろうともしない。
今、沈みゆく夕日に照らされた、金州城の町外れに複雑な感慨に思いをはせながら、馬を止め立ちつくしている。
こういった詩やその背景を読み返してみると、昔の人間の嗜み(たしなみ)というか、品格の基になる何かがあったし、自ら省みても今はそれが欠如しているような気がしている。