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最近、久しぶりに司馬遼太郎の「関ヶ原」を取り出して読んだ。

何と言っても、人物描写が面白い。

石田三成は、よく言われるように経済のわかる行政タイプで、豊臣秀吉に自分に最も似ているとも評された一方、秀吉の持つ対人関係の巧みさ、現場感覚は全く欠如していた。

そのため、現場でたたき上げてきた虎之助(加藤清正)や市松(福島正則)等とは、全く肌が合わなかったし、やはり内心馬鹿にしていたのだと思う。

このため、へいくゎい者(横柄者)と言われ、本人もそれを自覚しながら全く直そうとしなかった。

また、明敏な頭脳を持ちながら、ある意味で滑稽なほどつねに物の一面しか見えない欠陥があった。

例えばこんな一節がある。
・ ・・「心配は要らぬ」というのが、相変わらずの三成の観測であった。
観測というより信念であろう。
信念というよりも自己の智恵に対する揺るぎなさが、三成の性格であったろう。
三成が敬慕する秀吉や信長の場合、すべての情勢と条件を柔軟に計算しつくしたあげく、最後の結論に向かって、信念的な行動に移るのがやりくちであったが、三成の場合は最初に固定観念がある。
その観念に、諸情勢・諸条件を当てはめてゆき、戦略をたてる。
自然、その戦略は動きがとれない。・・・

実は、三成も自分の欠点を、当代一の実戦派である島左近を高碌で召抱え、自己の吏才を左近の軍事的実戦才能で補おうとしていた。

こんな左近との会話がある。
・・・「将来成すあらんとする者が、無用に敵をつくるというのは拙策もはなはだしい」
「左近、八方美人になれというのか」
「こまったおひとだ」と、苦笑した。
「たれも、そうは申しておりませぬ。
古来、英雄とは、智弁勇の三徳そなわったる者をいうと申しまするが、殿はその意味では、当代太閤を除けば、家康と並ぶ英傑です」
―しかし。
と、左近はいう。
「智弁勇だけでは、世を動かせませぬな。
時には、世間がそっぽをむいてしまう。そっぽをむくだけでなく、激しく攻撃してくるかもしれませぬな。
真に大事をなすには、もう一徳が必要です」
「つまり?」
「幼児にさえ好き慕われる、という徳でござるな」・・・・

ところで、家康の方はと言えば、これほど慎重な人間はいないと言える。

例えば、以下のような一節がある。

・ ・・家康は自分の戦術不利を戦略でおぎなおうとしていた。
むしろ家康は戦術よりも戦略で勝利を得ようとし、開戦以前から西軍の切崩しを進め、いまや敵の大半に対して内部工作の手を打っている。
しかもそのほとんどは家康になびき、裏切り、無抵抗逃亡などの約束をとりつけていた。もし彼ら叛将たちの言葉が真実ならば、家康にとって戦争はすでにページェントにすぎず、その進行と勝敗は脚本化されているといっていい。
家康は、もはや桃配山の床几に腰をすえて居眠りをしているだけで合戦は勝利へ進行してゆくであろう。
そこに漕ぎつけるまで家康はやすみなく努力してきた。
が、この桃配山の山上にきても家康は安堵できない。
(はたして筋書どおりにゆくか)
ということが不安であった。諸事、ふたをあけてみるまでわからないのである。
その証拠に、家康の焦燥は傍目で見ても尋常ではなかった。・・・

やはり、秀吉の後の天下人は、その器量から家康と衆人が認めていたわけで、秀吉の正妻、北の政所が後押ししたのも大きな時代の趨勢という感じがする。

こういった、人間の表現しがたい器の大きさというのは今でも通用し、人を見極める際の最大のポイントである。