
憲法改正や戦後レジームからの脱却といった現状ではあまり切迫感の少ない論点はやはりどこかへ消え去り、最も切実な年金等の問題が表に出てきたのは当然といえば当然だったのかもしれない。
それにしても、日中戦争、太平洋戦争といった問題にけじめをつけているようで不完全なため、米国で従軍慰安婦問題が決議されたり、逆に原爆投下を止む無しといった発言が出てきたりするのかもしれない。
そんな中、久しぶりに司馬遼太郎の「この国のかたち」を読み返してみた。
戦争のさ中、満州の戦車隊に配属されていたが、その部隊の前身が4,5年前にノモンハンの凄惨な戦争に参加しこなごなにやられた。
この事変では戦車の数もこちらが1、ソ連が10の勢力を持っており、結局、戦闘の進行中、関東軍は戦車隊の育成と保全のためという奇妙な論理を立てて、戦場から戦車部隊だけを撤退させた。
結果として、ノモンハンの草原上の日本軍は死傷70%以上という世界戦史にもまれな敗北を喫して停戦した。
この事変は「参謀」という得体の知れぬ権能をもった者たちが、自己肥大し謀略をたくらんでは国家に追認させてきた多くの例の一つで、昭和前期国家の大きな特徴であったという。
「統帥綱領・統帥参考」という、原本は一切焼却された本の紹介があり、統帥機関である参謀本部の将校のみ閲覧を許可されたもので、(明治)憲法に触れたくだりがあり、おれたち(勿論言葉遣いは違うが)は実は憲法外なのだと明快に自己規定している。
・・・之ヲ以テ、統帥権ノ本質ハ力ニシテ、其作用ハ超法規的ナリ。
従テ、統帥権ノ行使及其結果ニ関シテハ、議会ニ於テ責任ヲ負ハズ。議会ハ軍ノ統帥・指揮並之ガ結果ニ関シ、質問ヲ提起シ、弁明ヲ求メ、又ハ之ヲ批評シ、論難スルノ権利ヲ有セズ。
参謀本部将校だけが「我々の職務だけが憲法外に置かれている」と言い交わし、それを秘密にし、そのことを明文化した本を最高の機密、門外不出の書とし、国民には漏らすことがなかったことになる。
天皇といえども憲法の規定内にあるのに、この中では、天皇に無限性を与え、我々は天皇のスタッフだから憲法上の責任などないとしている。
司馬遼太郎は、軍部が国を蹂躙した一時期は日本にとって異質な不連続な時代であったと評し、言い換えると慰めているわけであるが、現在の官僚の心根の奥にはまだこれに類した心情が隠れているように感じることが多い。