
人文主義的な文化と自然科学的な文化の間に昔から大きな亀裂があり、ご本人も東大理学部卒業後、法学部に学士入学、さらに物理の大学院を経て、理化学研究所、ソニーコンピュータサイエンス研究所という多様な経歴の中で、次のような経験をしたという。
『当時私は電車で理化学研究所に通っておりました。電車の連結部でものすごい勢いでノートをとるのが日課になっていました。あるとき、ガタンゴトンという電車の軋み音が気になり始めました。自然科学の言葉でいえば、何ヘルツの周波数で、それがどういうスペクトルまで分布しているということなのですが、このガタンゴトンという軋み音「質感」は数値化できない。例えば、いまお話している私の声の「質感」を周波数で記録することはできますが数値化はできない。愚かなことに、このときはじめてそのことに気がついたのです。人生で最大の覚醒をした瞬間、私は顔が青ざめたのを憶えています。物理主義的な世界観、つまり数学的世界観の外にあるものがあったのです。電車の軋み音は現象学哲学の大問題なのだと。』
また、最近の「脳ブーム」に対し、メディアの中では全く単純化されすぎ、脳を割り切る扱いには終息宣言をしたほうがいいと思っているという。
世の中の色々な面が、必ずしも簡単に統合され単純化されないのは、一面で煩わしく、面倒と感じてしまうかもしれないが、これを無視し、無理に割り切ろうとすると結局失敗や挫折にいたるのではないだろうか。
このような視点を頭において、ITの世界を眺めると、アップルのiPhoneが米国でいよいよ発売され、色々報道がされている。
多くの徹夜組も含め,iPhone発売を待つ列に並んだApple信者にとっては, Appleが何カ月も前から表明していた技術的な約束が,iPhoneによって果たされ満足しているらしいが、距離を置いたユーザーからみると,iPhoneはバグだらけで,特徴に欠け,機能面で奇妙な不足があり、これは言わば今までのAppleの伝統に則った製品であり,夢中になる人と呆れる人が同時に現れるという見方もあるようだ。
特に、携帯電話の番号を変更して「iPhone」に乗り換えたユーザー、とりわけAT&T以外のキャリアから乗り換えたユーザーの間では、AT&Tのアクティベーションの遅れから、緊急通報の「911」以外に電話をまったく使えない状態が続いたということで問題になっているらしい。
国内のPCとケータイの関係では、日本のケータイインターネットは、サービスパッケージも含めて、非常によく出来ており、メールもサイトも音楽配信も、あるいはおサイフでさえも、ケータイがあれば事足りる。というよりケータイがなければ始まらない、つまりPCなんていらない状況まできているのではないか、そんなPCとケータイの溝を埋めるのがiPhoneという人もいる。
ただし、現状の日本では携帯電話通信会社がいかに興味を示そうとも、制度上、米国同様の形式でiPhoneが販売されることは難しいのが現実らしい。
iPhoneが採用している通信方式が日本では提供されていないGSMであるといった技術的な差異以外に、日本の携帯電話産業の構造的な状況では、PHSを含むすべての携帯電話端末は通信会社に買い取られ、多くはそれら通信会社のブランドで販売されるという商習慣が確立されており、アップル式に、自社/製品のブランドを直接管理することを重視し直接iPhoneのマーケティングを行っていくスタイルが日本市場では困難だという。
また、携帯電話通信会社が販売する携帯電話端末は、その会社の提供するサービスに最適化されているため、いわゆるSIMロックを解除したところで、他の携帯電話通信会社のサービスをそのまま使うことは困難になっている。
iPhoneは米国で最大シェアを誇るAT&Tのネットワークを利用するものの、日本人がイメージする携帯電話ではなく、むしろインターネット端末と捉えたほうが正解のようで、基本的な通話やSMSなどの通信サービスを除き、提供されるサービスの多くはAT&Tには帰属しない。一部サービスの使用料は通信料金に追加されるものの、それらは飽くまで代理徴収に過ぎず、サービスの内容をアップルや今後公開されていくAPIを活用した事業者が随時変更したり、追加していったりすることに対して、非常に柔軟に対応できる。
とはいえ、なんとかこの状況を打破して国内でもiPhoneを使えるようにしてほしいと思っている人は多いのではないだろうか。