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宋文洲さんのコメントに次のような言葉があった。

我々はよく「人生設計」という言葉を使います。しかし、設計通りになった人生はどれほどあるでしょうか。「夢」で終わる設計もあれば、思いもよらない大成功の設計ミスもあると思いませんか。
人生は設計通りにいかないのがほとんどです。これを知って運命論にはまり努力を諦めるか、偶然に素早く順応し新たな気持ちで努力をするかで、人生は異なります。
一意専心も必要ですが、刻々と変化する状況を見極めないと願いを成就することも、目的を達成することもできないと思います。
100年後のビジョンを持っていると豪語している著名な経営者がいますが、明らかにハッタリと思います。想像すら難しい先のことまで考えている経営者より、「猪を狩りに行くところに、鹿に出合ったら迷わず撃て」という経営者を僕は信頼しています。

宋さんはご存知のように、中国生まれ、日本に国費留学(北大大学院)、天安門事件で帰国を断念しソフト販売会社のソフトブレーンを創業した人物だが、一味違う鋭いコメントを発信してくれている。
基軸をぶれさせずにかつ柔軟にというスタンスはビジネスにとって必須のことだと思う。

折りしも、中国の温家宝首相が来日し、師と仰ぐ周恩来元首相が、日本留学時に京都の嵐山で失意のうちに作った「雨中嵐山」の詩を刻んだ石碑を訪れた様子が報道されている。

雨中 二次  嵐山に 遊ぶ,
兩岸の 蒼松は,
夾みゐたり  幾株かの 櫻を。
到り盡くる 處  突(たちま)ち 一山の高きを 見,
泉水を 流出させ 綠(きよ)きこと 許(かく)の如く,
石を繞り 人を照らす。
瀟瀟たる 雨,
霧 濛濃たり,
一綫の 陽光  雲を穿(うが)ち 出で,
愈(いよ)よ 嬌妍を 見(あらは)す。

人間(じんかん)の 萬象 眞理は,
愈よ 求むれど  愈よ 模糊たり,
模糊たる中に  偶然 一點の光明を見いだし,
眞に 愈よ 嬌妍たるを 覺ゆ。

(訳 蔡子民先生)
雨の中を二度嵐山に遊ぶ
両岸の青き松に  いく株かの桜まじる
道の尽きるやひときわ高き山見ゆ
流れ出る泉は緑に映え 石をめぐりて人を照らす
雨濛々として霧深く        ・
陽の光雲間より射して いよいよなまめかし
世のもろもろの真理は 求めるほどに模糊とするも
――模糊の中にたまさかに一点の光明を見出せば
真(まこと)にいよいよなまめかし

話は一寸飛ぶが、日本人、中国人とを問わず、時に触れ心情を格調ある詩の形で残せるのは何とも羨ましく感じられ、こればかりは年をとってくれば出来るようになるというものではない。

ところで、日本経済新聞編集委員の大林 尚(おおばやし・つかさ)さんが、日本は「人口減少の世紀」を迎え日本は西暦2050年に8000万人台、2100年には4000万人台の小国に成り下がってしまうことが、半ば運命づけられているとし、ただ幸いなことに、これから10年程度は人口減少のペースはまだ緩やかであり、その間に経済、財政や税制、年金や医療など人口に大きく左右される日本のシステムをリフォームしなければならないと説いている。

一方、米国には「米国退職者協会」(American Association of Retired Persons)という意味のAARPといって、50歳以上人口の半数弱が入会している、お化けのような組織があると紹介している。
現会員数は3800万人であるが、半数強が何らかの仕事に就いている。「retire(引退、退職)」という語は実態を表していないし、しかも50歳になれば会員になれるので、必ずしも「高齢者」の集まりでもないが、AARPが今最も力を注いでいるのが会員の“就職支援”なのだそうである。
定年を迎えたら退職するとか、ある程度の年になったら引退するという、これまでの常識的概念に異変が起こっており、「引退」という概念が「新創造」に変わってきたという問題意識が背景にあるらしい。
働き続けることは定年延長や単純な再就職ばかりではなく、IT(情報技術)などを活用して自ら小さな会社を興したり、個人でビジネスをしたりする。儲かる儲からないにかかわらず、NGOなど公的な領域に活動の場を移して、教育や地域活動に自らの経験を生かし、50歳を過ぎた時点で、もう一度新しい生き方を創造する。これが「新創造」という言葉に込められた理念であり、AARPの基本姿勢であるという。

宋さんの最初の話にもあるように、人生を固定して考える必要はないし、これからは益々従来の生き方にとらわれない新しいスタイルが追求されていくように感じている。