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連結決算を粉飾したなどとして、証券取引法違反の罪に問われたライブドア幹部に対する東京地裁の判決が、元社長の堀江貴文被告、前取締役の宮内亮治被告、元代表取締役の熊谷史人被告、関連会社ライブドアマーケティング前社長岡本文人被告と金融子会社ライブドアファイナンス前社長中村長也被告らに対し相次いで出た。
粉飾決算の計画・実行については、堀江主犯、宮内らを従犯とした検察の主張を退け、ほとんどの案件において宮内が主導して、堀江が承認したとしている。

ジャーナリストの田原総一郎氏は、過去にも粉飾決算というのは数多くあり、ライブドアの粉飾決算53億円に対し、例えば旧長銀の粉飾決算は3100億円、山一證券の粉飾決算は2700億円、カネボウは800億円、ヤオハンは128億円など、いずれもライブドアに比べたら桁違いの大きさの粉飾決算をやっていながら、いずれも執行猶予付きという点を上げ、実刑という判決には率直に言って違和感があると言っている。
また、宮内被告と中村被告たちはこれとは別に背任横領の疑いがあるとして堀江被告の弁護団に提訴されている。堀江被告の全く知らないところで、宮内被告と中村被告、そして沖縄で怪死を遂げたエイチ・エス証券元副社長の野口英昭氏が資金をストックするための会社をつくり、そこで堀江被告の知らない金を横領したという背任罪で、検察はこういった件に触れないことを約束して宮内被告を落としたのではないのか、司法取引の可能性があったと指摘している。
また、日興コーディアルは誰もが上場廃止だと見ていたが、上場廃止にならなかった。これで堀江被告のライブドア上場廃止が改めて問われてくる。堀江被告が実刑になった最大の理由は、ライブドアの株を持っていた多くの株主に甚大な被害を与え、その責任は重大である、ということであった。
しかし、日興コーディアルも多くの人に甚大な被害を与えている。堀江被告が甚大な被害を与えることになったのは、上場廃止になったからなのであって、もし上場廃止にならなければそこまで大きな被害を与えることはなかったとされるのに、日興コーディアルの場合には甚大な被害が出るのを防ぐために上場廃止にはならなかった。
これに関しては、日興コーディアルと官邸、あるいは自民党の幹部との関係が取り沙汰されており、実は東証でもどうするのか揉めにもめ上場廃止という空気が強かったが、結果として廃止にはならなかったのは何か政治的な圧力がかかったのではないかと考えられるとしている。
堀江被告を断罪する人間は、言ってみればオールド・エコノミー、体制派経済人たちで、なぜなら、堀江被告らは体制派にとってはインベーダーだからだという。

堀江貴文被告が結果的には粉飾決算と言われても仕方のないことをやったのは間違いないことで、弁護されることではないのは当然である。

一方で、日興コーディアルグループへは甘く、ライブドアには厳しい対応がなされたという印象があることは拭えず、事実かどうかはともかく、当初からライブドア事件の立件そのものが、見せしめ、あるいは国策捜査といわれてきた感をさらに強める。
ライブドアへの強制捜査の背景には司法当局の独自の強い意志があったのは間違いなく、強制捜査当時の大鶴基成・東京地検特捜部長は、事件の前年に「額に汗して働いている人々や働こうにもリストラされて職を失っている人たち,法令を遵守して経済活動を行っている企業などが,出し抜かれ,不公正がまかり通る社会にしてはならないのです」と語っているのを思い起こさせる。

むしろ、長期的視点に立った時、これら判決の影響が、日本のベンチャービジネスの活力を殺がないかという点が心配になる。

株式会社シンクの代表取締役で、Mckinseyなどで活躍のかたわら政府系委員会メンバーなども務める森祐次氏は、ただ単純に堀江氏ら元経営陣の意図的な犯罪としてしまうのは難しいのではないか、むしろ、この背後にあるベンチャー企業が対処せざるを得ないさまざまなリスクとは何かを同定するきっかけとしてはどうかと提言している。
経営者が果敢にチャレンジする(時として、法整備されていない領域に対して進出する、あるいは業界の通例を破ることで既存の事業者に結果的にダメージを生じさせる)ことに対して、ネガティブな風潮を作りかねない。
それでもこういったチャレンジをしていこうとすると、「外部のシステム・リスク」をある程度まで認識したとしても、それを社内でどのように説明しているかという問題が発生する。特に、今回の事例のように、担当者が経営者に対して提案し、実施への承認を得る過程で起こりやすい。この過程では、社員や役員の悪意や無知によって発生したものも含むことになり、経営者にとって「内部に対するシステム・リスク」をもたらすことになる。これによって、過失が犯罪となり、経営者に対して実刑として課せられるものとなってくるものであるとしたら、その影響力はすさまじく大きいことになりかねない。なぜなら、あくまでベンチャー経営のリスクとは、本来、金銭的なものでしかなく、あくまで刑事罰を伴うものではないからだ。
さまざまなリスクを目の当たりにすると、ベンチャー経営などしないほうがいいのではないか、という議論にもなりかねないし、小さなままで好きなことをやっていればいいのだという、ベンチャー企業を否定し、かつ零細・中小企業を礼賛する者も出てこようと危惧している。