
2007年正月を迎え、拾い読みしていた「海舟座談」(巌本善治)に、明治32年1月2日の海舟の話が紹介されていた。この約2週間後に亡くなっているので、まさに遺言のようなものかもしれない。
海舟の功績については、咸臨丸の遣米使節艦長や西郷隆盛との会談による江戸の無血開城他、明治維新前の方が一般には有名だが、維新後のほうにむしろ功績が大きいとも見られている。海舟本人が、表に出ないように処置したせいであるが、政府要人をはじめさまざまな人間が相談に来ていた模様である。
海舟の功績については、咸臨丸の遣米使節艦長や西郷隆盛との会談による江戸の無血開城他、明治維新前の方が一般には有名だが、維新後のほうにむしろ功績が大きいとも見られている。海舟本人が、表に出ないように処置したせいであるが、政府要人をはじめさまざまな人間が相談に来ていた模様である。
暮に田中(光顕みつあき 土佐出身の明治の元老)がやって来て、増税の事をかれこれ言うから、『ナニ5,6億にもせねば成るまい』と言ったら、びっくりしていたよ。その出途(しゅつと)がありますまいと言うから、『ナニあるよ、チャンと考えてある』と言ったら、しきりに聞きたがるから、『それは天機漏らすべからずだ』と言ったのサ。なかなか利口で、種を聞き出しに来るよ。
2,3年病気になって、よく考えて置いた、すっかり、考えが出来た。
今は、実事の時だもの。ソウ考えたり、やったり、出来はしないよ。チャンと、前に考えて置いたのサ。長州征伐の時が、○○○両サ、それから割り出して西南事件(明治10年の内乱)の時も勘定して置いたら、たいてい当たったよ。先ず、6で掛けるのサ。今じゃア、金の値打ちが減ってるもの。高が多いようでも実は同じことサ。
2,3年病気になって、よく考えて置いた、すっかり、考えが出来た。
今は、実事の時だもの。ソウ考えたり、やったり、出来はしないよ。チャンと、前に考えて置いたのサ。長州征伐の時が、○○○両サ、それから割り出して西南事件(明治10年の内乱)の時も勘定して置いたら、たいてい当たったよ。先ず、6で掛けるのサ。今じゃア、金の値打ちが減ってるもの。高が多いようでも実は同じことサ。
時勢の変りというものは妙なもので、人物の値打(ねうち)ちが、ガラリと違ってくるよ。どうも、その事が分からなかったがネ。今から32年前に、初めて分かったよ。ワシが抜擢(ばってき)されて、そのころの上の者と初めて一つ会議などに出た処が、カラキシ、一つも知らない。それはそれはひどいものだ。どうしてこれで事が出来たものかと思って、不思議なほどであったが、その時、初めて、勢いの転ずる工合が分かった。
一つ、大本を守って、しっかりした所がありさえすれば、騒ぎのあるのは、返って善いのだと言うけれども、どうも分からないネ。一つ、大本を守って、それから、変化して往くのだ。その変化が出来にくいものと見える。
一つ、大本を守って、しっかりした所がありさえすれば、騒ぎのあるのは、返って善いのだと言うけれども、どうも分からないネ。一つ、大本を守って、それから、変化して往くのだ。その変化が出来にくいものと見える。
(前年の11月)
この間も、国家の大事だといって来て言う人があるから、ハアそうですか、と言ったのサ。スルト、あなたは枢密顧問でいて、国家の大事をお構いなさらんと言うから、お前方がそう構うから、私らは構わないでもいいと言うたのサ。内の権助(ごんすけ)が、飯もたかないで、勝家の一大事だと言って、騒ぎ廻って、その上、スリコギを振り廻して、お三と喧嘩などをやらかすと困るよ。飯をたく事は善くたいて、その上の心配は、忠実に、心の中でしておれば、いいではないか。
今の騒ぎなどが何だ、瓦解の時などは、数万の人が、みんな騒いで、勝は国家の大事を構わないと言って、それはひどかったよ。今の奴らは、初めてだから、ビックリするのサ。それも少し立つと、馬鹿なことだと分かって来るよ。
この間も、国家の大事だといって来て言う人があるから、ハアそうですか、と言ったのサ。スルト、あなたは枢密顧問でいて、国家の大事をお構いなさらんと言うから、お前方がそう構うから、私らは構わないでもいいと言うたのサ。内の権助(ごんすけ)が、飯もたかないで、勝家の一大事だと言って、騒ぎ廻って、その上、スリコギを振り廻して、お三と喧嘩などをやらかすと困るよ。飯をたく事は善くたいて、その上の心配は、忠実に、心の中でしておれば、いいではないか。
今の騒ぎなどが何だ、瓦解の時などは、数万の人が、みんな騒いで、勝は国家の大事を構わないと言って、それはひどかったよ。今の奴らは、初めてだから、ビックリするのサ。それも少し立つと、馬鹿なことだと分かって来るよ。
ビジネスの世界でも、一つ二つ目線を高くして見回すと、自然と些細なことは見えなくなり、大事なことが浮かび上がってくるのではないだろうか。