
ポスト小泉を狙う政治家もポピュリストの性格が強く、もっと大局的で長期の視点に基づく対応をしていかないと結局日本のためにならないと思う。
そんな昨今から、何となく司馬遼太郎の書いたものが読み直したくなり、「明治という国家」を開いてみた。
この中に「勝海舟とカッテンディーケ(”国家”の成立とオランダ)」の章がある。カッテンディーケという人は、幕末に、幕府が洋式海軍を作ろうとして正式にオランダに海軍教師団を寄越してくれと要望し派遣されてきた教師団の団長で、当時は中佐であったが後に母国の海軍大臣にもなった人物で、広い視野と政治感覚も十分ある若き海軍士官であり、勝海舟のほうは幕臣生徒側でオランダ語が出来たので教務主任のような立場にあったが、”聡明な真の革新派の闘士”と非常に強い言葉でほめられている。
この間に、オランダの”国民思想”を直々に学び取り、司馬遼太郎に言わせると、日本史上異様な存在、即ち、みずからを架空の存在である”国民”としたわけで、勿論、日本には誰一人存在していない時代に先行したわけである。
当時の封建身分社会の感覚で言うと、”国民”とか”日本人”などというものは”火星人”というのに近い抽象的存在であるが、このような”宙空に浮かんだ大観念”の一点に自分を置いたとき、地上の諸事情・諸情勢はかえってよく見えてくるし、未来まで見え、更に打つべき手まで次々と発想出来るものだという。この流れが、塾頭の坂本竜馬に引き継がれていくことになる。
勝海舟は、結局江戸幕府の葬式を営んだわけだが、”国民の成立”もしくは”国民国家の樹立”ということが秘めた主題であり、これが革命側の西郷隆盛の心に響き両者の会談が劇的なものとなり、江戸の無血開城という史上最も格調の高い歴史が演じられることになる。
こんな歴史のひとこまを思い起こすと、余り現状に一喜一憂したりせず、隠れた人材もいるはずで、日本人の本来持つ強い点、ポジティブ面に期待していきたいものと思う。