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団塊の世代の大量退職が始まる2007年問題が盛んに言われれています。私もその直前の年代で学生時代、サラリーマン時代を通して彼等と一緒に生活してきました。私自身は一寸早めにEarly Retirementし、ほぼ”定年退職”を経験したわけですが、定年といえば1年ほど前に出た嵐山光三郎さんの「不良定年」という面白いエッセイ集がありました。

「・・・昔は定年と書かずに停年と書いた。これは会社の「戦力外通知」である。
・・・・こういった詐称は60歳停年を迎えた人々を更に混乱させる事態におちいった。むしろ55歳で出勤停止としてくれたほうが、それからの展望がひらけた。定年には体力も知力もいる。であるのにいつまでも会社とともに生きようと思うのが人情で、60歳過ぎてから給料を安くして、また、元の会社に雇用されるというシステムができた。1,2年間の緩衝としてはいいが、私に言わせれば一度出所した前科者が、刑務所の生活を忘れられずに、わざと犯罪を犯して再入獄する心情に似ている。一度釈放されたんだから、開き直って別の道を探したほうがすっきりする。しかし、新しい人生といったって、大方の人は、そうすぐにそんなものが見つかるものではない。いままで働いてきた経験を生かしつつ、個人としていかにそれを応用できるかが、定年後の人生を再設計するコツである。
・・・・定年後の最大の壁は収入の金額ではなく、人間としての尊厳である。もちろん収入がなければ生きていけないが、かといって会社の要職にあった人が、なりふりかまわず人にすり寄るのは見苦しい。定年後は、それまでの仕事の経験と実績を生かして、小銭を稼いでいくのがよい。
・・・・そのさい問われるのが「不良としての自覚」である。
・・・・不良定年は一定の出世をした男の特権である。会社で仕事を投げてしまっている無気力社員は、社内で「役立たず」のレッテルを貼られているため、定年に至っても不良化するパワーを蓄積していない。定年を迎えれば、誰にでもペコペコするだけの善人になるしかなく、仕事の注文もこないから、小銭も稼げない。・・・」

不良少年になれなかった人達も、今度こそ不良定年になって、人生を極めたいものではありませんか。