ふたりの母
私には、母が二人いる。2 歳頃に亡くなった生母と、今も実家で父と暮らす継母。その、亡くなった生母に会うことができた。退行催眠下での話だ。会うには会ったが、生母は後ろを向いたまま。必死の思いで呼びかけ、なりふり構わず抱きつくと、やっと生母は笑顔になり、私の肩に手を置いて、微笑んで・・・消えていった。もう、号泣。その後、何日も何日もかけて、この経験を考えた。人生の謎が解けた、と思った日もあったし、会えてよかったと、ただただ、涙にくれた日もあった。カウンセラーですもの。いろいろ考えました。けれど、これらは全て仮説。本当はどうなのだろうか。亡くなった生母の最期のようすを父に聞いてみようと思い、実家に帰ることにした。退行催眠の結果から推測した私の生い立ちについての仮説は、妥当なものだろうか。1年ぶりに帰ってみると、両親はそれぞれに衰え、居室は混乱がすすんでいた。昨年、話の時系列があやしくなっていた父は、認知症状がさらに進み、自分の娘がわからなくなっていた。私は、父がわからないでいることがわからず、しばらく、ちぐはぐな会話が続いたが、数十分ほど経つうちには対応のコツを飲み込んだ。要するに、父には「今」しかないのだった。私と話している数分間は、私の名前も娘であることも理解し、記憶を保持できている。だが、隣室に入った途端、母に尋ねるのだ。「台所におるのは、だれかいの」私にも尋ねる。「終戦の時、どうしとった?」「まだ生まれてなかったよ。」「終戦は何年前?」「72年前」「そんなに経ったのか!わしは幾つになった?」「88歳」「ほんまか、信じられん・・・」それでも、傍にいて話しかけることを繰り返すうちに、だんだん長く話せるようになり、翌日には、墓参りに行ったことを帰っても覚えていて母を驚かせた。「おとうちゃん、今日はよく覚えとるねぇ」と、母は嬉しそうに言い、「やっぱり何か刺激がある方がええんじゃね」と、ふたりで納得した。父がしっかりするのは、私にとっても嬉しいことだった。この様子なら、父は、昔のことを思い出せて、亡き生母の最期も話せるかもしれない。私は、母が父から離れた隙を見て、昔話を振ってみた。子ども時代の実家の様子やお盆の思い出、亡くなった祖父や祖母のこと。父は、「よう、おぼえとるなぁ」と話には乗ってきたものの、亡くなった生母の名前さえ思い出せず、私は引き下がるほかなかった。翌朝、母がこう言った。「おとうちゃんが、ふみこは誰の子どもかいな?って言うんよ」私が苦笑しつつ、「おとうちゃんの子でしょ」と言うより早く、母が明るく言った。「ふみこは、おかあちゃんの子よ!」私は、胸がつまった。朗らかな声に。屈託のなさに。いいきった、その揺るがない無邪気な口調に。時が経つほどに、その声の響きは増し、私の胸を満たした。泣けてきたのは翌日だった。亡くなった母の最期など、それをめぐる仮説の検討など、それがどうしたというのだ。頭の中でこねくり回した仮説など、母の肉声で吹っ飛んでいた。私は、この人の娘だった、この人が宣言してくれた通りに、この人の娘だった。と、繰り返し思い、愛すべきはこの母だった。 と、苦く悔やみ、けれど、老いた母に、人生ごと抱きしめられて、私は深く満足した。