5年前の2008年8月29日に母親が当時の主治医から治療しないのであれば余命は2~3ヶ月。仮に治療をしたとしても半年前後でしょうと突然の余命宣告をされてから、本日で丸5年を迎えることが出来ました。

振り返ってみて、このまま母親が「ガンにもって行かれてしまう」と強烈に思ったことが今までの治療で2回あります。

一度目は、所謂、右も左も分からない状態の中で突然のように始まった1stラインの抗がん剤の時です。今、現在は1stラインの段階から遺伝子検査でOKが出た人がいきなり、イレッサを飲むことも普通にはなってきていますが、当時は、先ず、点滴タイプの抗がん剤から始めましょうというのがスタンダードでした。

しかしながら、この一発目の抗がん剤が運悪く、全く母親に効をなさず、副作用ばかりが残り、あっという間に身体は弱り、CEAが1780まで上昇した時は本当に怖かったですね・・・・。

そして、当時は、母親の後姿を見る度に、この身体の中に今、「うようよと癌細胞が巣食っているのか」と思い、何ともいえない暗澹たる気持ちになったことも、恐らく、私が生きている限り忘れることは出来ないでしょうね。。

次に、二度目は、2012年1月からの放射線治療と抗がん剤治療の併用の時です。

この時は、放射線治療の副作用による、食道炎から、一番酷い時には水を含んだだけで吐き気を催すという、、、食事をするのも難しい状況に陥り、あっという間に体重は激減し、CEAも過去最高の2121を記録し、骨転移も頭蓋骨に転移したのが確認され、、母親は、このまま、衰弱して身体中、ガンだらけになって旅立つのではと、家族の誰もが思ったことでしょう。。

やっぱり、手術が不可能なステージⅣの肺がん患者が丸5年も生きる(生き抜く)という事は、、これら上記のような事が悔しいけれど、大なり小なり必要なんでしょうかね・・・。

さて、ブログを開始してもう直ぐ丸2年になるのですが、、非常に恥ずかしい話・・・私、、今朝、漸く気づきました。

「~周年」と「~年目」をごっちゃにしておりました^^;

母親の場合、「丸5年+n日経過→6年目の~」になることを、今更ながら、ハタッと気づいた始末です^^;

最初は、ブログのタイトルをコッソリ変えようかとも考えましたが、ここは、恥を忍んで(笑)、4年目から、いきなり「5年目」をすっ飛ばして、何だか詐欺行為をしているみたいで恐縮の極みではありますが、「6年目の~」とタイトル変更すること、何卒、ご容赦ください^^;




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