二泊三日の一時外泊をした母親は無事、金曜日に病院に戻ってきました。自宅では、体調が良かったこともあって、ご近所の方からの御裾分けで沢山頂いた、「イトヨリ」という魚をおかずにして病院へ持って行く為、南蛮漬けにしたり等、今回は色々と料理に明け暮れたみたいです^^;

体重も、久々の54・5kgを記録したとかで、、ここまでは順調な話で良かったんですが、、、病院に戻るころには、右足脹脛部分が浮腫みだしたそうで。。。

母親が言うには、無理したつもりは全然無かったんだけれど、立ち仕事を長くしすぎた所為なのかなと呟いていましたが、、う~~~~ん、、毎回、ブログにも書いているように、抗がん剤を点滴する少し前ぐらいから右足脹脛部分が浮腫みだし、抗がん剤を投与すると、綺麗に浮腫みが取れるといったパターンがこのところ続いており(前回は「ある事」が原因でイレギュラー扱いです^^;)、今回は浮腫みの時期が何時もよりも早く出てきているので、ちょっと母親も不安がっていました。

さて、今日は、母のガン友さん達について書きたいと思います。

以前、ブログでも書いたような記憶もあるのですが、母親の闘病生活は先月丸4年目に突入し、3度に亘るイレッサ、そしてタルセバ服用の御蔭で入院生活よりも自宅での療養生活の方が長く、又、入院しても特別室に入っている事もあって、家族親戚以外との接点というのがこれまでは殆どありませんでした。

闘病生活の最初の頃に一度、私も親父も母親へ、病室の部屋に閉じこもっていても気が滅入るから他の部屋の患者さんと友達になったらと軽い気持ちで言ったことがあるのですが、その時に「そういう気持ちにはとてもじゃないけど今はなれない!」と返答され、それ以来、入院時においては母親の好きなようにさせていました。

しかしながら、放射線治療を終えて再び入院した今年の3月位からでしょうかね・・・通院していた時の顔見知りの同年輩の女性の患者さんと偶々、廊下で話す機会があり話自体も弾んだそうで、それ以来、お互いが入院している時には、母親の部屋に時々遊びに来られるような関係になって、、その内、一人増え、二人増え、三人増え、一番多い時には、、部屋のソファに三人座られて、パイプ椅子に一人、母親はベッドを起こしてそこに座って、もう一人がベッドにチョコンと座り、合計6人で、あれやこれやと「ガールズ・トーク(笑)」を楽しんだこともあったそうです。

話す内容は、どうしても自分の病歴、担当医師、使用している抗がん剤等の治療方法が主になってくるのですが、その中で私も母親も驚いたのが、こういう方がいらしたことです。

その方は、最初から両肺に無数の癌がある状態で見つかり、イレッサは最初の段階から適合せずでダメ。色んな抗がん剤をやった結果、今はアリムタを1年ちょっと点滴なされていて、両肺以外の脳、骨等には未だに全くの転移がない状態で3年を無事に迎えられているとのことです。

又、別の方は、脳に転移が見つかり、二回、ガンマナイフで治療をされたことがあるそうで、その時の体験談を面白おかしく話されたり、胸水を3リットル近く抜いた直後に遊びに来られた方もいらして、その時は、皆、一様に「大丈夫?」と心配しきりだったそうです^^;

そして、現在では、7~8人の同病の患者さんとお友達になって其々の「旦那さんが持ってきた」差し入れ(おやつ)の交換を時々しているそうですが(笑)、、イレッサ、タルセバを半年以上服用した方は母親以外に誰も、この中にはいらっしゃらなかったみたいで・・・・。。

だから、このブログを読まれている方で、現在、イレッサ生活を謳歌なされている方は、是非、今のこの恵まれた時間を、有意義に楽しくお過ごし下さいます様、心からお祈りしております!!


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