いよいよ親知らず治療の日 | 流離のロマンチストかく語りき

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何か書けと言われても、何と書いたらいいのか、、、、

とりあえず、暇な方は、ちょっとだけでもお立ち寄りくださいね。



今日も書斎の室温は14度。


これから身支度をして歯科医に行ってきます。


とうとう親知らずを弄られる時がやってきちゃいました。


早く終われば、、、というか、顔が歪んでいなければ、そのまま駅前まで買い物に行って、昨日予定してた昼食を摂り、ついでに夕食の食材調達を。


勿論、顔が歪んでたら中止。


で、昨日の閲覧者も結構多かったので、どんな検索ワードで来た人が多かったのかを調べてみたら、なんと!永田英二がダントツだった。


おそらく、北公次氏の死去に関連するものだろう。


かなり前だけど、フォーリーブスについて触れたとき、永田英二(後に八田英二)についても書いたことが有った。


僕が男で純然たる女好き(美系限定でニューハーフも可)を自認してるところだけど、フォーリーブスのレコードとは、不思議な縁が有って、良く聴き今でも所持している。


少年時代、近所の友人とたまたま空き家周り(木造都営住宅が取り壊されて団地を建ててた時期だった)に移行してた)をしてた時、何処かの家に置き去りになってたレコードを発見。


紙袋の中にシングル盤が20枚くらい入ってて、その中にデビュー曲のオリビアの調べ等の初期のものが何枚か混ざっていたのだ。


時を同じくして、親戚の家に遊びに行った時、田舎からステレオを送ってもらったら一緒にレコードも送ってきたとかで、欲しい物があればくれると言われた。


というのも、僕もその頃、ステレオを買ってもらったばかりで、兎に角、どんなレコードでも欲しかったのだ。


その中から何枚かを持ち帰ったのだが、その中の1枚がフォーリーブスの夏の誘惑で、オマケのような感じでフォーリーブスの歴史みたいなミニ写真集が着いていた。


それを見てフォーリーブスの最初のメンバーには、青山孝でなく永田英二が居たことを知った。


とは言っても、別に興味が有ったわけじゃなかったから、ふ~んという程度だったけどね。


で、それが記憶の何処かに焼きついていて、暫くして八田英二としで再?デビューした時は、興味とい言うほどじゃないまでもちょこっとだけ気になった。


確か、改名の理由は、名前が全てシンメトリー(対称)で縁起が良いと、誰かに言われたからだとか言ってたような覚えがある。


が、その甲斐も無く、敢え無く撃沈(全く売れず)。


けど、客観的に見て格好よかったよね。


身長も180cmくらい有ったし、顔もずうとるび今村良樹に似て可愛かったし。


当時は、どうして売れないんだろうって思ったけど、今ならはっきり判る。


確か、白いスーツを着て演歌(っぽい?)を歌ってたんだよね。


氷川きよしズンドコ節みたいな感じの曲だった。


あれじゃ売れねーって。


まあ、ジャニーズ事務所が新境地を狙ったものだったんだろうけど。


以後、ジャニーズ事務所からは、演歌歌手は、ひとりも出ていないので御座います。