歴史への訪問・シニア徒然ブログ | シニア徒然ブログ

シニア徒然ブログ

マイペースの自己満のブログです。
季節は変わり 花が咲き 花が舞い 花が散り 花が逝く
きっといつか 風が吹いて 夢を運んで くる予感
神戸発信・・・










おじいさんは大きなお寺の釣り鐘を一人で持ち上げた
り、米だわらを何びょうもかついで歩く事が出来まし
た。

それに相撲(すもう)がとても強くて、村の若者たちが
一度に五人かかっても、たちまち投げ飛ばされてしま
います。

ある日の事、このおじいさんのうわさを聞いて、本物
の相撲取りがやって来ました。

相撲取りは、田んぼでウシを使っていたおじいさんに
たずねました。

「おい。この村には、相撲の強いじいさんがおるそう
じゃが、知っているか?」

「はあ、まだ誰にも負けた事のない、強いじいさんが
いますよ」

「何! 誰にも負けた事がないだと?! じいさんの
くせして、なまいきだ。わしがひねり潰してやる」相
撲取りは、じまんの太い腕をブンブンと振り回しまし
た。

「ところでじいさん、その強いじいさんの家はどこだ
?」

「はい、はい。今教えてあげますから、ちょっと待っ
てくださいよ」

おじいさんはウシの後ろに付いている、大きな土掘り
道具をはずしました。

そしてウシをかつぎあげると、ヒョイと田んぼの外へ
出したのです。

「なっ???」相撲取りは、ビックリです。

それからおじいさんは、一人ではとても持ち上げられ
ない土掘り道具を片手でつかむと、まるで棒切れみた
いに振って言いました。

「ほれ、あそこに木が三本見えるでしょ。その横に立
っているわら屋根が、じいさんの家です」

それを見て、相撲取りは急に怖くなりました。

「そ、そのじいさん、そんなに相撲が強いのか?」
「さあ? ついこの前は、大イノシシを片手で叩きつ
ぶしたそうですよ。

しかし、いくら強いと言っても、本物の相撲取りに
相撲で勝てるかどうか」

「・・・片手で、大イノシシを?」 相撲取りは、す
っかり弱気になってしまいました。

「で、でも、じいさんは、いや、そのお強いおじいさ
んは、家にいるかな? せっかく行っても、いないと
ガッカリするから、また今度来る事にするよ」

するとおじいさんは、ニッコリ笑って、「大丈夫。そ
のじいさんなら、ここにいますよ」と、自分の顔を指
さしました。

そのとたん、相撲取りはブルブルと震え出して、
「うひゃーー!」と、あわてて逃げ出したそうです。

おしまい










目が覚めたら生きていた。
朝起きたらもうご飯ができていた。
窓を開けたら美味しい空気があった。
美味しいものを食べて美味しいと感じる。
結婚して子どもが生まれた。
子どもがすくすく育っている。……

「こんなこと、当たり前だと思ったら大間違いです。
世の中に当たり前のことはたった一つしかないんで
す。

それは、産まれてきたすべての命には必ず終わりが
あるということ。それだけが当たり前のことで、そ
れ以外のことはすべて奇跡なんですよ」助産師の内
田美智子さんがこう話していた。

この年末から年始にかけて、内田さんは連日新しい
生命を取り上げた。その中には15歳の少女もいた。

分娩室で彼女は「痛い、痛い!」と泣き叫びながら、
やっとのことで3000㌘を超える大きな赤ちゃん
を産んだ。

妊娠に至った経緯には、言うに言えない事情があっ
た。しかし、産まれたばかりの赤ちゃんを抱きなが
ら、少女は「ママよ、私がママよ」と何度も語りか
けていたそうだ。

しばらくして、ずっと寄り添っていた、30代後半だ
ろうか、40代前半だろうか、若くして祖母になった
ばかりの母親に向かって言った。

「ママ、ありがとう」

同じ頃、国会議員の野田聖子さんが不妊治療の末、
50歳にして男の子を出産した。

「50歳だろうが15歳だろうが、生まれてきた子は乳
飲み子。手がかかるのは同じ。周囲のサポートは同
じように必要です。

中学生だろうが、国会議員だろうが、母親は一人し
かいないんです。育てられることに感謝して欲しい」
と内田さんは言う。

30年以上もお産の現場にいる。そこは「おめでた」
ばかりではなかった。

妊娠が分かってから女性は約10ヵ月の月日を経なが
ら、少しずつ「母親になる」という決意をしていく。
それは自分の命を賭けて産むという決意だ。

わずか50年前、約2000人の母親がお産のときに
命を落としていた。内田さんが助産師になった30年
前は300人、一昨年でも35人の母親が自らの命と
引き換えに子どもを産んだ。

死産もある。ある妊婦は10ヵ月目に入って胎動がし
なくなったことに気が付いた。

診察の結果、胎児は亡くなっていた。でも、産まな
ければならない。

普通、お産のとき、「頑張って。もうすぐ元気な赤
ちゃんに会えるからね」と、妊婦を励ますが、死産
のときには掛ける言葉がないという。

泣かない子の代わりに母親の泣き声が分娩室に響き
渡る。その母親は内田さんに「一晩だけこの子を抱
いて寝たい」と言った。

真夜中、看護師が病室を見回ると、母親はベッドに
座って子どもを抱いていた。

「大丈夫ですか?」と声を掛けた看護師に、母親は
「今、お乳をあげていたんですよ」と言った。

見ると、母親は乳首から滲み出てくる乳を指に付け
て、子どもの口元に移していた。

「このおっぱいをどんなにか、この子に飲ませたか
ったことか。泣かない子でも、その子の母親であり
たいと思うのが母親なんです。

何千年の時を経ても母親は母親であり続けるんです」
と内田さん。

父親・母親世代に内田さんは、「子育ては時間が取ら
れるなんて思わないで。育てられるだけでも幸せなこ
となのよ」と語り、

学校に呼ばれたときには、「お母さんは命賭けであな
たたちを産んだの。だからいじめないで。死なないで」
と子どもたちに訴える。

「命が大切なんじゃない。あなたが大切なの」と…。