ある日の事、西郷さんはお百姓の家で、ふかしたての
サツマイモをごちそうになりました。

「おおっ、うまかサツマイモだ」

そのサツマイモを気に入った西郷さんは、ざるに盛り
上げたサツマイモを一人で全部たいらげた上に、お土
産として一俵もサツマイモをもらったのです。

ですがいくら力持ちの西郷さんでも、一俵(→約50㎏)
のサツマイモをかついで帰るのは大変です。

そこで西郷さんはお百姓に馬を貸してもらうと、ポッ
クリポックリと上機嫌で帰って行きました。

ところが途中の坂で馬がよろけて、背中のイモ俵を落
としてしまったのです。落ちたイモ俵からサツマイモ
が飛び出して、坂道をコロコロコロコロと転がって行
きました。

「しもうた。イモが、逃げおるわい」

ところが西郷さんは、転がって行くサツマイモを拾お
うとはしません。それどころか馬に向かって、こう文
句を言ったのです。

「イモが逃げたのは、お前の不注意だ。待ってやるか
ら、お前が始末せい」そして西郷さんは、のんびりと
タバコをふかし始めました。

しかしいくら西郷さんに文句を言われても、馬がイモ
を拾うはずがありません。馬は気持ちよさそうにタバ
コをふかす西郷さんの隣で、じっと立っていました。

そこへ通りかかったお百姓が、道いっぱいに散らばった
サツマイモを見て西郷さんに尋ねました。

「こりゃあ、どうしたんですか?」

すると西郷さんは、大きくタバコをふかしながら言い
ました。「なあに、馬がイモをこぼしたで、『自分が
した事は、自分で始末せい』と、教えとるところです」

「・・・はあ。馬にですか」お百姓は、あきれてしま
いました。 

(この西郷さんは偉いお人だそうだが、何とも変わった
お人だ)お百姓はサツマイモを拾い集めると、元の様に
馬の背中に乗せて、そのまま行ってしまいました。

さて、それからしばらくしてようやくタバコを吸い終え
た西郷さんは、大きなあくびをすると馬の方に向き直り
ました。

「おおっ、ちゃんと自分で始末できたな。やれば出来
るじゃないか」

西郷さんは馬の手綱を取ると、何事もなかったかのよう
にポックリポックリと帰って行ったそうです。…

おしまい













肉体労働の現場で働く社員を励ますつもりで、Mさん
はよく社員の肩や背中を軽く叩いていた。

それは一般的にスキンシップの範ちゅうだと思うが、
一人の退職した社員が、「社長から日常的に暴力を
ふるわれていた」と言い、巨額の賠償金を要求して
きた。

原告の背後に暴力団の関係者がいたようだった。

身に覚えのない疑惑にMさんは精神的に落ち込み、
食事も喉を通らない、眠れない日々が続いた。

この苦難をどう乗り越えたらいいか聞こうと、ある
日、有名な霊能者を紹介してもらった。

その霊能者はMさんを見るなり顔がこわばった。

「あなたには死神が見える」と言うのだ。さらに驚
愕することを言った。

「今年の12月30日、会社の社長室で首を吊っている
姿が見えます」

Mさんはびっくりした。数日間、悶々とした日々を
過ごした後、その運命を回避する方法を考えた。

「12月30日に社長室で首を吊っているというんだっ
たら、その日、社長室にいなければいいんだ」

Mさんは奥さんを誘って年末年始、旅行に出掛けた。
そして年明け早々、元気になって帰ってきた。

そしてあの霊能者のところに行ったら、霊能者はび
っくりして言った。

「死神が消えている。一体何があったんですか?」

その後、裁判に勝訴し、会社の売り上げも伸びてい
った。

きっとその霊能者は「このままいくと、あなたはこう
なりますよ」と、Mさんの運命を予言したのだろう。

それも一つのMさんが行くべき道だったのかもしれな
いが、道は一つではなかった。

Mさんは地獄のような日々の中で、運命は変えられる
ことを知った。

どんな親から生まれるか、いつどこに生まれるかなど
はどうすることもできない。これを宿命というそうだ。

それに対して運命というのは、自らの意思や判断や決
断によって変えられるようだ。

例えば、重大な病気をして、医師から余命1年と告知さ
れたとする。それを自分の宿命だと受け止めてしまえば、
告知通りになるだろう。

しかし、それからいろんな健康法を取り入れて、奇跡的
に快復した人も少なくない。

そう言えば、『人魚姫』というアンデルセン童話をご存
知だろうか。

人魚姫は15歳の誕生日に、嵐に遭って難破した船から溺死
寸前の王子を救い出した。そしてその王子に恋心を抱くが、
人魚は人間の前に姿を現してはいけない決まりがあった。

しかし、人魚姫はどうしても王子が忘れられない。

人魚姫は海の魔女にお願いして尾びれを人間の足に変えて
もらった。しかし、それと引き換えに声を奪われた。

そして、「もし王子が他の娘と結婚すればお前は海の泡と
なって消えてしまう」と言われた。

その後、人間になった人魚姫は王子に近づき、仲良くなる
が、声が出ないので「嵐の日に救ったのは私です」と伝え
られない。

そうこうしているうちに王子は別の娘と婚約してしまう。

このままだと海の泡になる。悲嘆に暮れる人魚姫。彼女が
生き残れる道は一つしかなかった。短剣で王子を刺せば再
び人魚の姿に戻れるのだ。

しかし、愛する王子を殺すことができない人魚姫は死を選
び、海に身を投げて泡となっていく。

1836年に発表されたこのアンデルセンの悲しい物語を、ウ
ォルト・ディズニーは見事にハッピーエンドに書き換えた。

自らの努力と根性で王子をゲットして幸せな結婚をするデ
ィズニー版人魚姫『リトル・マーメイド』を1989年に映画
化したのだ。

そうだったのか。たとえ有名なアンデルセンの原作であって
も、悲劇の結末より幸せなラストシーンのほうがいいと思っ
たら書き換えてもいいのだ。

人生のシナリオライターは自分。だったら、自分で幸せな未
来に書き換えよう。誰も文句は言うまい。……。