鬼谷の教え:この作品は史実をモチーフとしたフィクションです。
鬼谷きこくとは江南の陳国に生まれた人物で、弁論の術を学問と
して体系化し、 それを書物に著したのだという。


(五)

公叔痤は老齢であることもあり、自身の跡継ぎを養成
しようとしている。これまで公叔は宰相として政治を
執り行うばかりでなく、軍事に関しても自ら指揮を執
ってきた。

これは、呉起を国内から追放したことに対する彼なり
の責任の取り方だったと言えるだろう。しかしそもそ
も公叔が呉起を追放した理由は、軍事面で功績を挙げ
た人物が、政務をも執り行うことに危機感を抱いたか
らである。

権力を独占して、やがては君主を脅かす存在になるの
では……呉起はそのような危うい匂いがする人物であ
ったのだ。

しかし結果だけを見ると、宰相である公叔が軍事をも司
る状況は、呉起が為そうとした姿とさほど変わることが
ない。

これまで公叔が自分自身のことをそれほど高く評価する
傾向がなかったために大きな混乱は見られなかったが、
今後のことを考えると、やはり軍事と政務の権力は別々
の人物に分散させるべきであった。

軍事面での公叔の跡継ぎは、紛れもなく龐涓であろう。
公叔はその事実を強調するために、自身の養女とも言え
る如公主娟を龐涓に与えたのだった。

そして龐涓は実際に多くの戦闘において、その実力を発
揮したのである。

一方政治面での跡継ぎは、未だ定まっていない。しかし
公叔の意識の中では、それは既に決まっている。

魏の隣国である衛の公家に繋がる人物……その由緒ある
家柄から、その男は公孫鞅こうそんおうと自称した。衛
の公族に繋がることから、衛鞅えいおうとも呼ばれる。

衛鞅は公叔の食客として、普段から公叔と寝食を共にし
ている。公叔家の家宰として家事のすべてを取り仕切る
傍ら、公叔の執り行う政策に助言を与えることが常であ
った。

普段は庭の手入れをしていることが多い。この日も衛鞅
は、地面に生えた名も知らぬ雑草を取り除くことに集中
していて、背後に娟がいることにしばらく気付かなかった。

「相変わらず、ご熱心なことですね」

娟は幼いころから公叔家の世話になっているので、衛鞅
との付き合いも長い。しかし彼女が龐涓の許嫁となった
ころを境に、ふたりの関係は疎遠なものとなっていた。

「お久しぶりですな。昔は草抜きを手伝ってくれたもの
だが、いまあなたにそれを求めるわけにもいくまい。祝
言を挙げれば、晴れてあなたは将軍の夫人となるわけで
すから」

「嫌な言い方をするのね」衛鞅はにこりともせずにもの
を言い、娟はその態度に戸惑いを覚えずにはいられなか
った。

しかしその心情を理解できないこともない。おそらく
衛鞅は、出世の面で龐涓に大きく水をあけられている
現状を憂いているのだ。そう考えた娟は、彼を刺激す
ることを避けて、しばらく黙っていた。

「……ところで、用事があってやって来られたのでし
ょう。用件をお伺いしますが」

他人行儀な衛鞅の態度を、娟はあえて気にしないように
努力した。

「魏が趙に侵攻して、邯鄲城を囲む計画だとの噂があ
ります。伯父さまに入れ知恵したのが、もしかしたら
衛鞅さまなのではないかと思って……」

「その通りです。それがどうかしましたか?」

衛鞅のあまりに素っ気ない返事に、娟は思わず声を張
り上げた。「その計画が斉に漏れてしまったかもしれ
ないことを、どう考えているのですか。もちろん、知
っているのでしょう?」

「そのようなことは、私の中ではすでに織り込み済み
のことだ。とにかく、魏は現状にとどまっていると、
覇権を失う。勢力を拡張し、その強さを周辺国に知ら
しめなければならない。

それに対抗する国があるのならば戦うべきだし、いず
れそのときは来る」

衛鞅は表情も崩さずにそのようなことを言う。もともと
学者肌であり、感情を表に出すことの少ない男ではあっ
たが、これほどまで冷酷な発想を持った人物だとは、娟
は知らなかった。

「邯鄲には住民がいます。その多くは魏国に敵対心を
持っているわけではありません。なのに、それを潰せ
というのですね。しかも斉が干渉してくるかもしれな
いというのに、それとも戦えと……。

実際に戦う人の立場を考えてみるべきです。だいいち、
負けたらどうするのですか」

「龐涓は負けぬ。だからこそ公叔さまに認められてい
るのだ。

その公叔さまにしても、はっきり言うと先が短い。ご
自分が生きているうちに魏国の安泰を確実なものにした
いという希望を持っていらっしゃる。

私はその希望を政策にして叶えてやる立場にあるのだ」

「下手に領土を拡張せずとも、各国との間にはっきり
とした国境を引けばよいでしょう。話し合いによって
それはできるはずです。あなたはその場を設けること
に努力する立場にあるのではないのですか」

「公主。それは甘い考えだ。現存する国家のなかで、
民衆が満足する生活を維持できているのは、魏しかな
い。それは魏が覇権を握っているからだ。

安全や安心は覇権があるからこそ得られる代物であっ
て、転じて言うと……覇権を失えば、それらはすぐに
失われる。

他の諸国に関して言えば、君主も民も、皆満足を得て
いない。現状のまま国境を確定しても、不満しか残ら
ないのだ。そのような状態のなか、話し合いで問題を
解決できるわけがない」

これについては、龐涓も似たようなことを言っていた。
要するに、諸国家は生き残りをかけて戦っているので
あり、勝ったもののみが幸福を得られるという救われ
ない希望を抱きながら、存続しているのである。

 

 








江戸時代末期に600もの村を再興した偉人、二宮尊徳の
教えに「たらいの水の話」があります。

たらいの水を、欲心を起こして自分の方にかき寄せると、
向うに逃げる。

人のためにと向うに押しやれば、自分の方に返ってくる。

金銭も、物質も、人の幸福もまた同じことであるという
のです。

この話には前段があるということを尊徳から7代目の子孫
である、中桐万里子さんのお話から知りました。

中桐さんは言われます。 「『たらいの水の話』のもとは、
人間は皆、空っぽのたらいのような状態で生まれてくると
いうことなのです。

つまり、最初は財産も能力も何も持たずに生まれてくるの
です。そして、そのたらいに自然やたくさんの人達が水を
満たしてくれるのです。

その水のありがたさに気づいた人だけが他人にもあげたく
なり、”誰かに幸せになってほしい”と感じて水を相手の
方に押しやろうとするのです。

そして、そういう人が”自分はもう充分幸せです”と、他人
に譲っても譲ってもまた戻ってきます。そして絶対にその人
から離れないものです。

しかし、水を自分のものだと考えたり、水を満たしてもらう
ことをあたりまえと錯覚して、”足りない、足りない、もっと
もっと”とかき集めようとする人からは、幸せはどんどん逃げ
ていくというたとえ話なのです」 …