不幸というものは、ある日突然訪れる。

アリの巣は、実に巨大な組織である。巣の中には数百匹
ともいわれるアリたちが暮らしている。

大きな巣には、数十億匹ものアリがいることもあるとい
うから、驚きだ。まさに、巨大国家のような規模である。

アリの集団の中には1匹の女王アリと、数匹の雄アリが
いる。そして巣の大部分を占めるのが、ワーカーと呼
ばれるメスの働きアリだ。

何しろ働きアリは忙しい。これだけの集団を維持するた
めに、巣の外に餌を探しに出かけなければならないのだ。

アリが1回餌を取りに行くための移動距離は、往復で
100メートルを超えるという。おそらくは、この距離
を何度も行き来するのであろう。

アリの体長は1センチメートルほどだから、アリにとっ
ての100メートルは、私たちの感覚ではおよそ10キロメ
ートルに相当する。

これを餌という荷物を運びながら歩くのだから、かなり
の労働である。

しかも、巣の外は危険に満ちている。

これだけ遠い距離まで歩いていくとなると、思わぬハプニ
ングに遭うことも多いだろう。巣を出たまま戻らない仲間も、
何匹もいるはずである。

ある日のこと、1匹のアリがいつものように軽快に6本の足
を動かしながら、餌場を目指していた。

アリの歩く速さは、1秒間に10センチメートル。時速360メ
ートルの速さだ。 アリの体長を1メートルと仮定すれば、
その速度は、時速36キロメートルになる。

乗用車並みの速さだ。陸上男子の100メートルの世界記録は、
およそ時速37キロメートルと言われているから、働きアリ
はオリンピック選手と同じくらいのスピードで移動してい
ることになる。





働きアリの彼女も、一目散に餌場を目指した。

その日は、いつもより日差しが強い。日なたは焼ける
ような暑さだった。ここを過ぎれば、後は餌場までは
日蔭が続く。

昨日の餌場が見えてきた。もう少しだ。足取りも軽く
なる。そのとき、ふっと足を取られたような気がした。

気のせいではない。そこにあるはずの地面がないのだ。
100メートルを走るアスリート並みの速度での移動中の
ことである。

突然、視界から餌場が見えなくなった。どうやら、地面
のくぼみに入ってしまったようだ。

急いで、斜面を登ろうとするが、やけに細かい砂で登り
にくい。爪を地面に引っかけて登ろうとすると、足場に
した砂も崩れ落ちていく。

思うように登れないのだ。「あり地獄だ!」

彼女が気づいたときは、すでに遅い。彼女はすり鉢状の
アリジゴクの巣に足を踏み入れてしまっていたのである。





俗にアリジゴクと呼ばれる虫は、ウスバカゲロウという
虫の幼虫である。

成虫のウスバカゲロウは繊細でスマートな形をしている
が、幼虫のアリジゴクは不気味に大きな牙を持ち、ウス
バカゲロウからは連想できないほど、醜くグロテスクな
格好をしている。

そして、地面にすり鉢状の巣を作り、その奥に潜んで、
巣に落ちてきたアリを牙で挟んで捕えるのである。

アリにとっては、文字どおり「地獄」なのだ。

不意を突かれてアリジゴクの巣に落ちてしまった彼女は、
必死によじ登ろうとするが、砂が崩れて脱出するのは容
易ではない。

砂を山盛りにしたとき、砂が崩れず安定している際の斜面
と水平面の成す最大角度を安息角(あんそくかく)という。

実は、アリジゴクのすり鉢状の巣は、砂が崩れない安息角
に保たれている。そのため、小さなアリが足を踏み入れた
だけで限界点を超え、砂が崩れ落ちるのである。

しかも、安息角は一定ではない。砂が湿ると崩れにくくな
るので、砂が崩れるギリギリの角度は大きくなる。

そこで、アリジゴクはそのときの湿度に合わせてこまめに
巣の傾斜を調整しているのである。

すり鉢状の巣に落ちれば、一巻の終わりだ。

アリは必死に足を動かす。はい上がってもはい上がっても
足元の砂は崩れ落ちてくる。

ただ、アリは垂直な壁も登れるほど鋭い爪を持っているので、
砂が崩れても崩れても、足を動かし続ければ、アリジゴクの
巣から脱出することも可能だ。





必死にもがいて、足を動かし、もう少しで登り切れる
というときである。突然、下から砂つぶてが飛んできた。

アリジゴクが獲物を目がけて、頭を上下させながら牙
を使って砂粒を投げているのである。

やっとつかんだ地面が、アリジゴクが投げた砂粒ととも
に、崩れ落ちていく。砂が崩れてははい上がり、はい上
がっては砂が崩れていく。

不幸というものは、ある日突然訪れる。

「奈落(ならく)」とは、仏教語で地獄を意味している。
まさに、奈落の底なのだろうか。必死にはい上がろうと
していた彼女もついには、アリジゴクの爪牙(そうが)
にかかり、餌食となってしまった。





哺乳(ほにゅう)類の場合、時間の感覚は体の大きさ
によって異なり、大きな動物は時間がゆっくり流れる
ように感じられ、小さな動物は時間が早く経過するよ
うに感じられるといわれている。

アリの時間感覚は想像することもできないが、アリは
体が小さく、せわしなく足を動かしながら早足で移動
する。

アリにとっては、最後の最後まであがき、もがいた末
の死だったのだろう。

しかし、アリに比べてずっと体の大きな人間にとって
は、すべては一瞬の出来事である。

働きアリの寿命はおよそ1~2年といわれる。

しかし、危険の多い働きアリは寿命を迎えるまでに死
んでしまうものも多い。

アリジゴクは、アリの体に牙を刺し込んで体液を吸い
取る。そして、干からびた亡骸(なきがら)は巣の
外に捨てるのである。

恐ろしいアリジゴクの巣ではあるが、単純な落とし穴
にたまたま落ちるアリは決して多くない。首尾よく逃
げ出してしまうアリもいる





絶食に耐えられるような体の仕組みにはなっているが、
それでも獲物がなければ餓死してしまう。

アリジゴクにとっても、生き抜くことは簡単なことで
はないのだ。

今日は、アリジゴクにとっては、数カ月ぶりのご馳走
だった。

アリジゴクがウスバカゲロウになってからは、数週間
~1カ月程度しか生きることができない。

しかし、幼虫のアリジゴクとして過ごす期間は栄養条件
によって異なるが1~3年ほど続く。

昆虫にとってはおそろしく長いこの期間は、ずっと飢え
との闘いだ。

日差しが強くなってきた。今日も暑くなりそうである。

そしてアリジゴクにとっては、また、アリが落ちてくる
のを待ち続けるだけの日が続くのだ。 ・・・…










3年前、認知症の祖母(92)は入院した途端、要介護
2が5に悪化した。本人が望まなかった入院を強行した
ため暴言や暴力、抑うつ、幻覚、妄想、せん妄といっ
た症状が強くなった。

だが、39歳の孫娘は1歳半の自分を両親から引き取り
育ててくれた命の恩人である祖母をケア。すると、
徐々に穏やかな人間らしさを取り戻すようになった






介護をするのは孫娘にあたる当時37歳の雨宮桜さん
(関西在住・独身)。1歳半の時に父親が駆け落ちし、
一家離散状態に。

育ての親となってくれた祖母は恩人だ。

祖母の入院中、雨宮さんはパートとして勤めていた
会社を解雇されていた。事業縮小による人員整理だ
った。

それでも祖母の入院中に求職活動を行い、就職先が
決まったが、祖母の病状が悪化したため、2カ月も
経たずに離職した。

「祖母が暴れるのは入院前からでしたが、入院とい
う大きな環境の変化と、『もう家に帰れないかもし
れない』という不安の中で、症状が悪化したよう
です。

暴れてしまったことによって強い薬に変えられ、別
人のようになってしまいました。

私は、処方された薬が合っていなかったのではない
か、また医師のピック病(認知症)という診断は正
しかったのかと疑っています」





雨宮さんは、もともと入院させる気はなかったうえ、
病院や医師への不信感がつのり、「祖母を退院させ
たい」「自分が家で介護したい」ということを主治
医に掛け合い続けた。

主治医からは何度も「在宅介護は無理です」と反対
され、「精神科の病院に転院するか、このまま入院
を続けるかの2択しかない」

「いずれにしても、管に繋がれたまま眠らされ、ただ
生きているだけの状態になりますが……」と冷たく突
き放された。

それでも雨宮さんは、「どんな状態になっても絶対に
連れて帰る。覚悟は変わらない」と決意を伝えてきた。

自分が歩くか歩かないかの頃から祖父とともに育てて
くれた祖母を介護したい。その一心で食い下がったの
だ。

その熱意が通じたのか、ほどなくして退院が決まる。

しかし退院前の認定調査では、祖母は要介護5(要介
護認定で最も重い段階)に上がっていた。

入院前は要介護2だったが、たった3ヶ月で急に5にま
で上がってしまったのだ。

雨宮さんは退院後の自宅での介護生活を見据えて玄関
や廊下に介護用具の設置を依頼したが、介護用具会社
のスタッフも、あまりの急展開に驚いていた。

「私は最初から施設に入れる気も、入院させる気もな
かったので、家に連れて帰ることは当然のこと。他に
選択肢はありませんでした。

祖母の退院が決まったときから、私は喜びとともに、
淡い期待と希望を持っていました」 しかし、そんな
期待と希望はいとも簡単に打ち砕かれた。





約3カ月ぶりに帰宅した祖母は、より一層理性がきか
なくなっていた。

オムツを替えようとする雨宮さんの腕を突然引っかい
たり、雨宮さんのメガネを投げたりするのは序の口で、
ひどいときは、髪を鷲掴みにして十数本毛を抜いたり、
汚物が入ったポータブルトイレをわざと倒したり。

リモコンを雨宮さんの顔めがけて投げつけた時は、鼻
に命中し、鼻血がダラダラ流れ出た。その様子を見て、
「アホや」「面白いな~」と笑うこともあった。

また、食事の際には、料理の皿をひっくり返したり、
口に入れたものを「ぶー!」と撒き散らしたりした。

「退院してすぐの頃は、祖母の暴言や暴力行為に対し
て、私は声を荒げたり、手をあげたりしてしまいました。

まだその頃は、入院前の祖母の記憶が鮮明に残ってい
たため、私も精神的に不安定だったのだと思います。

突然理不尽に怒ったり、暴力行為をしたりする祖母の
姿に、いちいち苛立っていました。

でもそんな自分が嫌で、眠っている祖母の顔を見なが
ら、いつも泣きながら謝っていました……」





雨宮さんは、少しずつ自分の意識改革に努める。

「赤ん坊の私を育てあげてくれた大好きな祖母は、
もうこの世に存在しない」と自分で自分に言い聞か
せ、思い込むことにしたのだ。

「祖母は、厳しくも優しくもあり、しっかり者です
が、お茶目なところもたくさんあって、一緒にいる
と楽しい人。どんなときも私の味方でした。

でも、私の知っている祖母はもういない。目の前に
いる祖母が、別人のような感覚になるのがあまりに
辛すぎました。

『もういない』とでも思わなければ心がバラバラに
張り裂けてしまいそうでした」

そうした心の持ち方の工夫により、雨宮さんはだん
だん気持ちが楽になっていった。





それから3年経ち、雨宮さんは39歳。

95歳になった祖母は、デイサービスやショートステ
イ、訪問看護を利用している。

以前、入院中に処方されていた抗精神病薬や睡眠薬
は、退院後はのんでいない。

別の病院で血液検査などを受け、新たに処方された
認知症薬などを服用している。

「喉が詰まりやすい」症状は、訪問医に相談した
ところ、「逆流性食道炎ではないか」とのことで、
薬をのむようになってからは格段に良くなった。

雨宮さんの介護の甲斐あってか、祖母は徐々に穏やか
になっていった。

歩くことはできないが、話すことや座って食べるこ
と、つかまれば立ち上がることもできるようになっ
ていた。

認知症の症状には「中核症状」と、「BPSD(行動・
心理症状)」と呼ばれるものがある。

「中核症状」は、脳の神経細胞が壊れることによっ
て直接起こる症状で、記憶障害や判断力の障害など
があり、認知症になれば誰にでも現れる。

一方、周囲の人との関わりのなかで起きてくる症状
を「BPSD」という。

暴言や暴力、興奮、抑うつ、不眠、昼夜逆転、幻覚、
妄想、せん妄、徘徊、もの取られ妄想、弄便、失禁な
どはいずれもBPSDだ。

人それぞれ表れ方が異なるが、背景には必ず理由が
ある。それが何かを考え、本人の気持ちに寄り添った
対応をすることで、改善できる場合も少なくない。





雨宮さんの祖母の場合、本人が望まなかった入院をき
っかけにBPSDが強く出てしまった可能性があるのでは
ないか、と雨宮さんは考えている。

「祖母は先日、『助けてぇ! 助けてぇ!』と叫んで
いるので、『どしたん?』と訊ねると、『ちゃあちゃ
ん(自分のこと)売られていくねん』と言います。

そこで、『私が悪いやつは退治したるで安心しや!』
と言うと、すぐに納得してくれました。

見違えるように穏やかになり、昔の祖母に戻ったよう
に感じる時が稀にあります。

一昨日は、私が部屋の電気をつけっぱなしにしていた
ら、『誰も居ない所は消しとかんともったいない』と
注意されました。





祖母の入院を強行した伯母との仲は、完全に元通り
になることは難しいが、回復はしている。

「正直、『あの入院さえしなければ』という思いが
ずっとあり、一時は避けていました。

最近の祖母は、寝ている時間が長くなった。

その間に雨宮さんは家事を済ませ、自分の時間を持
つ。「在宅介護を始めたばかりの頃は難しかったで
すが、1人の時間を少しでも作ることを心掛けていま
す。

自分の楽しみを見つけること。見つけた楽しみを諦
めないこと。イライラしたり、『もう無理だ!』と
感じたりしたときは、一旦その場から離れることに
しています。

介護は体力的に大変ですが、私の場合は、大好きだ
った昔の祖母にはもう二度と会えないという精神的
な面で、本当に苦しい時期がありました。

今では心の整理ができていますが、まだ心の片隅で、
『奇跡を起こしたい!』と思っています」

デイサービスが終わり、車から降りてくる祖母を出
迎えると、祖母は雨宮さんの顔を見るなり「桜ぁ~! 
会いたかったぁ!」と号泣することがある。

それを見たスタッフは、「何十年かぶりの再会みた
いやなぁ」と大爆笑。

しかし祖母はおかまいなく、「長いこと会わへんかっ
たなぁ! 大きくなったなぁ!」と言いながら雨宮さ
んに抱きつく。

「今は、祖母がただそこで穏やかに笑ってくれてい
るだけで、すごく嬉しいです

。祖母のお世話をすることが、私の生きがいになっ
ているように思います」

「長生きが幸せ」とは限らない。

また、被介護者が重度の認知症の場合、幸せかどうか
を本人に確認することは難しい。

だが、雨宮さんの祖母のように、誰かに幸せを与えら
れているならば、「長生きは幸せ」だと言えるのかも
しれない。 ・・・