itidabassのブログ -3ページ目
モノを思う気持ちヒトヲオモウキモチ。本当に大切なものに出会った時に君はどうするのかな?いつまで経っても変わらない、そのままでいることが出来るのかな?ある程度年数バンドをやってくると、色んな人の移り変わりを目にする。まー嫌われてるだろうから、もしくは気を使われてるだろうから、または忘れられてるだろうから、連絡が来ることはないし、今は怖いぐらいSNSが浸透していて、古くの知り合いの動向を目にする。頑張ってるなーとか、あーのんびりやってんなーとか、様々なご様子。どれが良くてどれが良くないとかはなくて、、、本当にそれはなくて。自分がそれでいいと選んだ道に今関わりのない僕が意見することはないし、そうなんだーと受け入れるだけのこと。
生まれてから死ぬまでに何人の人に出会って、何人の人と別れて、とかよく言われてる言い回しみたいなのあるでしょ?あれってどうみんな思ってるのかな?こんな話はもうする相手もいなくなってきて、1人いるかいないか。でもそいつの考え方はわかるから、こういった類の話はしない。
生まれてから死ぬまでに本当に大切なモノ、コト、ヒトって出会うのかな?気付くか気付かないかの差だとは思うけど、、。
全部いらないって言って強がってた若い頃とはもう違う。でもね。今はね。正直。。。。以外は何もいらないのかも、、と感じてる。


だめだなぁ
そんな感情に襲われる事は多々ありありな人生。苦痛を伴う事も多々ありありだなー。快楽を人生に求めすぎるのは如何なものかと思ってるし、苦痛だけの人生なんて誰でも嫌なもんだ。人との出会いが色んな事を助けてくれる。よかったねって思える事もあるし、ありがとうって感謝する事も沢山ある。いつも思うのは、俺みたいな大した事も出来ない、経験も思慮も不足している意見や考えをちゃんと聞こうとしてくれる人がいる事の幸せ。窮屈でどうしようもなく嫌な事があっても、そういった出会いが赦してくれてる気がする。一緒に行動してくれる人なんてどこにもいないと思っていたあの頃の自分に言いたい。みんなそんな悪い奴はいないよ。もっと自分を赦していいんだよ。
でもね。やっぱりくそったれだなおれは
あははは
それぐらいでいいんじゃない?
何度も何度も鐘を鳴らそうと打ってはみたものの、鳴らない。じゃあ打つものを変えれば、打つ手段を変えればとためしても鳴らない。鐘を変えるのか?鐘を磨くのか?どうする?
終わりだと言えば何か寂しい感じに受け取るのだろうけど、何かが終われば何かぎ始まるんじゃないかという期待に胸を膨らます事もできる。秋が始まる。夏の終わりというと、夏休みの終わりを体験してきたからこその寂しさなのかな。知り合いのバンドの解散や、メンバーの脱退というと、寂しさを感じるけど、次に何やるのかな?とか、次はメンバーいれるのかな?とか、とかとか、、、次のライブを見たくなるし、音源が聴きたくなる。残念な気持ちがないわけじゃないのだけど、期待をさせてくれる人の方が周りには多いと思う。音楽をやめるという人を見かけたりする。謎。別にやめる必要なんてない。毎週毎日楽器の練習してるのが音楽をするということでもないのだから、毎週毎日スタジオに決まったように入るのがバンドをやっているということでもないのだから。最近はそういった記事もよくみる。なぜやめる?的な?ただ音楽でちゃんと収入を得ている人の記事はどうなのかな?と思ってしまう。発信する術がない人もいるのかもしれないけども、、、ちゃんと働きながら、家庭を持っていてもライブ活動をしている先輩もいる。沢山いる。みんな知らないだけ。知ろうとしないだけ。数年前から音楽業界はあーだこーだと言われているけど、そりゃ努力する方向、力を向けるベクトルを間違え続けているのを気付かないで、別にそこまで音楽を好きでもない人に意見されて、否定され、愛情のない言葉に疲弊させられた人が少なくないのだろうね。商品になる。なぜ?世間の人が求めてる。みんなに聞いたの?わかりやすい方が聞きやすい。へっ?昭和歌謡のクオリティ知ってるの?政治の話でも同じ事も言えると思うのだけど、ダメだと思うなら意見をしないと、立ち上がらないと何にもならない。立ち上がっているつもりじゃダメ。なんかしらの行動言動を、責任を持ってする。何にも意見がないのも悪いとは思わない。何に対しても意見がないのはどうかとは思う。あー窮屈だな退屈だな。。と感じるから、だからこそのものもあるのだよね。暴れ倒して好き勝手ライブやっている人には系統が二種類はいる。暴れてしまっている人と、暴れようとしている人。前者はいいけど、後者は好きじゃない。よくないのではない。好きじゃないのだ。全力感。前倒し感が好きなので、、、。最近はそういう人達減ったなーという人がいたら、質問したいのだけど、探した?ちゃんと探した?って。探せばいるんだよね。情報過多で、求めなくても、ガンガン勝手に情報が入ってきてしまうから、知ってるつもりになる事が多いのだけど、探せばいるよ。君の好きな感じのバンド、音楽。探す気がないなら、音楽がそこまで好きじゃないんだね。残念だ。まーでもそれはそれで悪いとは思わないよ。音楽は基本は良い悪いよりも好きか嫌いかとかでいいんじゃないかな?何か一つでも好きなものがあって、その側で生きていけたら、それほど幸せな事はないと思うよ。人に与えられている事に感謝して、決して周りの事を当たり前だと思わないように、そしてある程度の謙虚さを忘れないように、がんばります(´Д` )

9/10
9/11
札幌に行きます。
Gran9というバンドでライブしに行きます

来年にはやっとこさ、どっこいさ、チッククロエにてのライブを、計画中。。
僕の疲弊した心に勇気を与えてくれるのはお客さん、友達、好きな人。ありがとう。


やりたい事をやる為に犠牲にしてきた、、とか聞くと、何それ?やりたい事をやるなら犠牲とかじゃなくない?とかなる。それが生き様なんだから。それ以外って何にもないでしょ?今ある周りの環境。本当はどうでもいいとかなってない?どうでもよくないんだよ。嫌な事があるとすると、それは嫌だと反発する気持ちができて、嫌な事されたら、自分はそれをしないでおこうと気付かされ、その今周りにあるものの大切さは気付けた方が幸せなことなのかな。
あれもこれもと欲張る気持ちもわからないこともない。欲張る事もある。
今の環境、自分の生活がどうであれ、自分の好きな人と過ごせる時間があるというのは、何にも変えがたい幸せな時間なんだよな。
人間の欲には限りがない。あれを得たら次はこれが欲しい、、、そうなるよね。。でも大事にしなきゃいけない事を忘れないでおきたい。

大切な人を大切にしよう。本当に大事に出来ているか何度も考えよう。そう考えている昨今でございましたー

楽しさを、喜びを、感じるという事は、悲しみを知っているから。何も知らないのはどっちも感じる事が出来ないという事。感情の起伏が激しかったり、気分屋だと言われる事が多々ある。それは認めている。あまり表情に出さないようにはしているが、わかる人にはわかる。

音楽が好きだ。これは変わってない。なんで?と聞かれても好きなものに理由を求めないのでわかりません。ただ音楽が好きで楽しいだけじゃない。辛い事とかももちろんある。

好きな事ずっと出来るって羨ましいね。と言われる事もある。でも身体的理由、もしくは相当な理由がなければ大概の事は続ける事ができると信じてる。

大した理由もないのに止める事が出来るのは、その人にとって大した事ではないんじゃないだろうか。。。

相当な覚悟で辞めると決めた人も見てきた。大した理由もなく辞めた人も見てきた。音楽を辞めるという事が理解できない。毎日楽器を演奏しなくてもいいじゃないか、ライブをしなくてもいいじゃないか、スタジオに毎週入らないくてもいいじゃないか、そういった事を自分で決めてしまうから辞めるしかなくなったりするんじゃないのかな?売れる為に音楽をしたり、食べる為に音楽をしたり、趣味でスタジオにだけ入ってたり、曲を作らなくてもいいし、どんな形でもいいじゃないか。形に拘るよりも音楽を好きだという気持ちに真っ直ぐでいたい。そんな毎日です。
さりげない事だとか、大袈裟だとか、偽善だとか、そういった事は結構どうでもよくて、相手の事を考えて行動するという事は素晴らしい事。そこで自分を殺さない事が大事。憂鬱になるときもあるだろう。泣いてしまう事だってあるだろう。終わりを迎えたそれに対しての思い入れ、何種類もの感情が入り乱れて自分を襲う事だってあるだろう。自分がされて嫌な事をしないという当たり前の事。相手を見て相手が求めている事を拾い上げる事。悲しいとき、泣きたいとき、泣けばいい。悲しいんだと伝える事の出来る相手のいる事に幸せを感じよう。自分の周りを流れている時間、周りにいる人。あーやっぱり好きだなって思える事の喜び。嫌な事は廃除したくなるだろう。でも嫌な事さえも我慢したり、楽しめたり出来るようにしていきたいと、、、、

支えたいと想う気持ち。そんな事は自分には出来ないと感じてしまう事もあるだろう。もしかしたら、側にいるだけでいいのかもしれないし、もしかしたら、悲しいけど離れた方がいいのかもしれない。それは後にならないとわからない事だから、いろんな経験をして、今ある考えに素直に行動しようじゃないか。経験は宝。新しい経験は喜び。なーんてなんてね。


うごごごごー
君が思っているほど簡単ではないし、僕が思っているほど難しくもない。君が思っているほど複雑ではないし、僕が思っているほど容易くもない。人が感じる事は一人一人全く違う。同じ空間に同じ時間いたとして、共有できるところが多分にあったとしても、その時に対しての感想は皆違うのだろう。同じ環境で育った兄弟でさえ違うし、同級生でも違う。でも周りの環境が人を育てるというのは間違いない事で、今の自分は今まで関わってくれた人が、物が、つくっている。同じ感覚、近い感覚を持つ人と出会えるのは幸せなのだろう。自分と違う感覚の人と出会える事も幸せなのだ。新しい事を知る。角度の違う見方を学べる。自分に壁を作る事をできるだけやめよう。今出来る精一杯を常に行動に移す事を難しいと考えるのか、容易いと考えるのか。。。ただ生きているそれだけでも幸せなのだ。さてGran9というバンドで福岡に行ってきます。みんな大変だな。新幹線まだかなー
夏の匂い、緑の匂いの中にいる。生まれ育ったところに今いる。記憶が蘇ったり、様々な思いにふける。
なにも変わらないものと変わり続けるものの違いって何なのかな?
スタジオに入って曲を作ったり、ライブをしたり、あーだこーだ言いながら進んできていて、なんだ?んー、、、なんでだ?
人と何かをするというのは黙っていて出来るもんじゃないと考えているから、僕はとてもよく話をしようとするし、会うと絶対話をする。相手が答えるまで待ったり、答えの方向へ促したり、様々。
今現在色んなことを音楽でしているように思われるが根本は一つ。理解を得たいとは思わないと言えば嘘になるだろう。
馬鹿にされることも多々あるが無視できるようになったなー(´Д` )
すぐ怒ってたもんなー(´Д` )
ゆったりとゆっくりとしかし確実に
自分の中なのか、外なのか、時間の流れの概念を考えてみること。生まれた時が違うのだけれど、同じ時間を違う存在として、生きている。それが、どれだけ素敵なことなのか。出会えることがどれだけ素晴らしいことなのか。人との出会いを大事にしよう。