小樽の郵船の建物
福井のレンガ倉庫
横浜の赤煉瓦
レンガの建物は心惹かれるものがあります。
遠出はできないので
半田の赤レンガ建物に。
ミツカンのお膝元
半田赤レンガ建物(博物館に入ると、受け付けてガイドさんがつけられますよと教えてもらい、つけてもらう。 入場料200円)
元気なおばちゃんに案内してもらいました。
この赤レンガ建物は、
①郷土の産業遺産
②建物としての遺産
③戦争の遺産
としての意味があるそうです。
①郷土の産業遺産
その昔、カブトビールがあったとさ、
北はサッポロビール
東は麒麟 恵比寿
西にアサヒ
と、4大ピール会社に殴り込みをかけるべく
45年という短い期間でありながら
半田という地方都市から
5大ビールと数えられるまでに。
1900年の巴里万博で金賞を取ったことは
今も語り草。
そうなれた理由の一つは
ビールに対する本格志向。
ドイツのゲルマニヤ社製のビール醸造器械と
技師をドイツから招いている。
あと、ユニークな新しい戦略。
京都の博覧会でビアホールをひらきアサヒビールに対抗して芸者さんに赤襷、赤前掛けで給仕させるという奇策。今で言うコンパニオンさんですかね。メディアが取り上げて売り上げ倍増。
当時の人気芸妓さんを起用したポスター。
なんでも赤坂の萬龍という芸妓さん。
文藝倶楽部誌の日本百美人と銘打った芸妓の人気投票で一位を取った芸妓さん。(センターなんですかね。)←ちが
共に名古屋駅
②建物としての遺産
この、レンガの建物は存在感があった。
明治建築界の3巨匠の一人である妻木頼黄(つまきよりなか)設計。日本橋とか横浜赤レンガ倉庫の設計を手がけた人。
・2004年国の登録有形文化財
・レンガの組み方はイギリス式なんだそうな。
・現存するレンガ建物が少ない
・明治に建てられた日本の5大レンガの建築物
・日本の先駆的な5層の断熱構造
半田赤レンガ建物は、ビール工場として安定した温度や湿度を必要とすることから、現在ではほとんど例を見ない、中空構造を持つ複壁や多重アーチ床など、極めて特徴的な構造をもった建物です
③戦争の遺産
第二次世界大戦中、ビール工場としての役目を終え、中島飛行機製作所の衣糧倉庫として使用されていた半田赤レンガ建物は、昭和20年(1945年)7月15日、硫黄島からのP51小型機(通称:ムスタング)による超低空での攻撃を受けました。建物北側の壁面には今もその時の機銃掃射跡が生々しく残っています。戦争遺跡といえば、砲台跡、要塞跡、大本営等、戦争実行側の遺跡が注目されがちですが、ここは被害者側という意味で貴重なものといえます。
半田市のホムペより抜粋
重厚感のあるこの建物を平和な青空の下と見ると感慨深い。
76年経った後でも
なんか、すーん。となりました。
カブトビール
中埜酢店4代目中埜又左衛門と
常滑出身の甥、盛田善平(のちの敷島製パンの創業者)が丸三麦酒(株)を作りのちに加武登麦酒(カブトビール)を世に出すことになる。
盛田家と中埜家はお家同士で強い繋がりがあったらしい。養子にしたりと濃い繋がりが。
ソニーの創始者の1人盛田昭夫氏はこの盛田家の繋がりだ。
ものすごいお家柄…
今では赤レンガ建物では復刻麦酒が販売されていました。もちろん買ってきました。
黒ビール飲みましたが
私は美味しいと感じました。
ちょぃと立ち寄るには
面白い場所だと感じました。