(5)
平成14年12月の寒い朝、その日はM子の結婚式だった。M子は私の次姉の娘である。
実家で留袖に着替えようと来訪した長姉は、便秘で苦しんでいる母を見た。88歳で一人暮らしをしていた母はずっと我慢していたのだろう。
あいにくその日は日曜だったので、日曜当番の医院を探し出し、処置を受けた。しかし母の通じはよくならなかった。
結婚披露宴の最中に母は席を立ち、戻ってこなかった。祝いに披露するはずだった詩吟も立ち消えになった。付き添っていた長姉からあとで聞いた話では、母は便を漏らしてしまい、家に帰ってしまったのだった。気丈な母にとって、この失敗は大きなショックだったようである。
翌年の9月、母の大腸が癌により狭窄していることが判明し、手術を受けた。撤去した癌は進物用のハムほどの塊があった。
母の入院先に孫のM子が見舞いに来た。このときM子は子供を宿していた。
平成16年3月、M子はS太を出産した。このときには母がひ孫の顔を見に出かけた。外出する度にささやかなものでも病室に届ける母だった。
それから半年後の10月、母は90歳で死んだ。母の葬式には乳飲み子のS太を抱えたM子の姿もあった。
(6)
母の死から4年近くが過ぎ、いまS太はM子のそばにちょこんと座り、仏壇に手を合わせている。
四歳のS太には生きていた曾祖母の記憶はないだろう。曾祖母、まして曽祖父の面影は目の前にある写真だけなのだ。
しかし、障子を閉めきった暗い仏間で、母親のM子と線香を上げた記憶は、幼いS太の原風景の一つになることだろう。
その部屋の床の一部は抜け落ち、畳が沈みかけていた。曾祖母の電動ベッドが寝たときのまま今もあり、遺品は生前のまま埃をかぶっていた。その家のカーテンは開けられることがなく人気がなかったが、白髪のお爺さんが一人住んでいた。
余り口を聞いたことのないこのお爺さんが自分の大叔父に当たることを、S太も大きくなったら理解するだろう。
やがて、曽祖父、曾祖母、大叔父がかつては母親と親密に関わっていた人間であることを知り、その影響はS太本人にも繋がっていることに気付くかもしれない。 (続くかも・・・)