今夜、9月1日21時30分、福田康夫首相辞任表明。その理由は何だろう。
新しい布陣で野党に対抗し、次の臨時国会で政策を実現するため、と福田首相は述べていた。
しかし本音は違う。キーワードは、福田首相が漏らした内閣支持率である。
後期医療費制度等、不人気な失策があった福田内閣の支持率はもう上昇しないだろう。ねじれ国会である以上、次の臨時国会でも政策実現は混迷を極め、会期中に解散総選挙する可能性は高い。そうであるなら、今のうちに不人気な福田内閣に代わる新たな体制を作っておき、総選挙に備えようということなのだろう。
内閣支持率を錦の御旗にして、与党内部が福田首相を追い詰め、辞任に追い込んだのだ。
しかし福田首相を辞任に追い込んだ本当の責任は、世論にあると私は思う。そもそも内閣支持率とは国民の浮薄な人気バロメーターではないのか。よく考えもせず思いつきで選択したアンケート結果が内閣支持率という数字になる。それを煽るのはマスコミだが、それに踊らされ、まるで自分が考えたように言葉にするのが国民すなわち世論である。

今日の街中でのインタビューも、無責任だ、継続すべきだ、などと通り一遍の非難が多く、私には何か腑に落ちない。
ねじれ国会という、リーダーシップを発揮できない八方塞りの状況を作ったのは国民だ。民主党を選挙で選んだからだ。この時点で、今日の首相辞任は推測できた。安部前首相の辞任も同様だ。辞任に追い込んだのは世論なのだ。
だから、ねじれ国会を選んだ国民が叫ぶ言葉は勝利ではないのか。他方、ねじれ国会を憂慮する国民なら福田首相に同情を寄せるのが自然ではないのか。
野党党首のコメントも、勝利を叫ぶべきなのに、街頭インタビューと同レベルの非難ばかりしている。反対のための反対だけをし、何のビジョンもないのがよくわかる。

職務を中途で投げ出すのは無責任だという非難は、期待の裏返しである。無責任だ、継続すべきだというのなら、継続できるよう支援をしたらどうだろう。これからはその方法を考えなければいけないのではないか。
解散総選挙をしても、賢明な国民が、層が浅く無策の現民主党に政権を任せることはないだろう。
私は断じて自民党員でも自民党支持者でもないが、現民主党と現自民党を天秤にかけたら、苦渋の選択として現与党に政権を任せるしかないと思う。
次の総理大臣が継続して仕事ができるよう応援できるのは世論しかない。サッカーのサポーターのように、国を代表し激務に励む総理大臣を励ましてあげようではないか。