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私が生まれた家は戦前からあった。昭和初期、隣接する学校に勤務していた若かりし父が購入した家である。
今でいう3DKの平屋だったが雁行の形をしており、ゆとりがあった。
付書院や脇棚がついた床の間や、透し彫の欄間のある本格的な書院造りで、私は子供心にその家を愛していた。

明治時代の地図を見ると、我が家の数十m先は瀬戸内海で、農地や別荘もあるのどかな土地だったようだ。その面影は私が育った頃も残っていた。
しかし都市計画が進行していた。生家はすっぽり道路用地に入っており、私が中学1年の時、新たにできた縦貫道路脇の今の家に引っ越した。

家族皆で知恵を絞り設計した家だったが浅知恵だったのだろう。46年経ったいまでは不便な家でしかない。
母は何百万もかけて何度も修繕したが、その度に父は首を傾げていた。

私が再びこの家に住みはじめて4年になるが、住んでみると、父が首を傾げていた理由がよくわかる。両親にはもっと明るく静かな家に住まわせてあげたかったと思うことがある。
兄が死んだ後、この家に両親が二人だけで住んでいた。父が死んだのちは、母が一人で住んでいた。
母はこの家を建て替えるよう私に勧めていた。金は母が出す算段だったようである。しかし私にその気はなかった。大枚をはたいて新築するより、小銭を抱え、懐を温かくして過ごしたい方なのだ。
本当は母自身が住み替えたかったのではないだろうか。母が住み替えたいとはっきり言ってくれれば、私の心も動いたかも知れない。
いやそうではない。母は住めば都の人だったから、この家で十分足りていたのだ。ただ息子の私には、もっと快適な暮らしをさせてやりたかったのだ、と思う。
しかし私は自分のことしか考えていなかった。   (5)