本日8月30日午前10:05からのNHKアーカイブス は、平成4年のNHKスペシャル「紙の碑」を放送した。(広島だけの放送?)
広島市舟入(ふないり)にある原爆養護ホーム「舟入むつみ園」では、余生を送る被爆老人たちが被爆体験を綴り、「紙碑」という冊子にまとめている。
原爆で娘を失った老女は、思い出すと心が煮えくりかえり何晩も眠れなくなるからと言い、手記の作成を先に延ばしたまま死んでいった。
別の老女は、被爆以前の懐かしい幼少時代の思い出ばかりをしたためていた。
思い出すことが苦しいのだ。
私の母からも被爆体験は二度しか聞いていない。一度目はまだ母が四、五十代の頃で、母もまだ若かったから話せたのではないだろうか。しかし40年以上前のことなので、聞いた内容はもう曖昧になってしまった。

二度目は原爆記念式の被爆者代表 となり新聞記者から取材された日、その興奮が冷めやらなかったのか、私にも少し話をしてくれた。思い出している目つきだったが、辛いと言って余り話さなかったし、私の方も年のせいか記憶力が悪くなり何を聞いたのか全然思い出せない。
私は今ブログに出会い、少しづつ綴っているが、飴玉のような、心安らぐ懐かしい追憶がほとんどで、思い出すのも辛く書くのも辛いことは避けている。
読む側に立って、陰鬱で暗い愚痴話は読みたくないだろうと思っていることもある。
しかし40歳のとき、一度だけ私のすべてを曝け出して書いたことがあった。
その時は勇気を振りしぼり、本当にあぶら汗を掻きながら書いた。書いているうちにだんだん心が軽くなり、早口で饒舌になっていった。これがカタルシスなんだと思った。
どうして書けたかというと、この人なら私のことをわかってくれると思える人が現れたからだ。その人に私のありのままを理解してほしいと思ったから書けたのだ。
それまでの私は心を裸にできなかったから、恋からも逃げていた。その時はじめて裸になれたから、恋心を燃やすこともできた
だが、その人と喧嘩したとき、あんなつまらないもの、途中で捨てたと言っていた。そのとき私は失恋してしまったのだった。
被爆者の深い悲しみの話から私の与太話になって申し訳ない。
今日のNHKアーカイブスでは、「紙の碑」に続いて、記憶の扉「満蒙開拓団」を放送した。
秋田県の農民が、満蒙開拓団として悲惨な体験をした記録を、戦後15年経った今も書き続けている。子供や孫がいつかこれを読んで自分を知ってくれるかも知れないからと述べていたが、書いている今、書くことで本人が慰められ、傷を癒しているのだ、と私には思えた。