ブログネタ:今年の夏 高速道路使った?
参加中1992年に兄が死んで、墓をどこに作るかという話になったとき、父は自分の生地に作ると言った。父は末子だったが、父以外の兄姉はすでになく、跡取りもなく、先祖伝来の墓地を管理していた。母も私達子供も全く縁のない土地だったが、父の希望である以上反対はしなかった。
墓石の購入から完成まで、何度か私の運転で、84歳になり足腰の弱った父と出かけた.。だが、子に先立たれた父の気持ちは、その車中でも聞いたことがない。
墓石の購入から完成まで、何度か私の運転で、84歳になり足腰の弱った父と出かけた.。だが、子に先立たれた父の気持ちは、その車中でも聞いたことがない。その墓地には天明文化文政天保の頃からの墓石が雑然と置かれていたが、それを整理して並べ替え、新たに一基、墓を建てた。
それ以来年老いた両親を乗せて、年に何度も墓参りをした。帰りにはいつも父が昼食を奢ってくれるのだが、私にしきりにビールを勧める父を母がよく諌めていた。しかし、車中でのおしゃべりが私の運転の邪魔になると言って、父が母を諌めたこともあった。
父は死ぬ直前、私に「先に●●(生地)に行って、私がもうすぐ行くからよろしく頼む、と伝えてきてくれ」と頼んだ。父は混濁した意識の中で、子供の頃の、家族が生きているふるさとに帰ろうとしていたのではないか、と最近思う。
2000年に父
がなくなってからは、母と二人で墓参りに出かけた。車中、母のおしゃべりが止まったときはうたたねをしていた。母がペースメーカーを装着して障害者2級になってからは、サービスエリアの障害者用の駐車場に止められるようになり、高速料金も半額になったから、私と一緒だといいよねと冗談を言う母だった。
母が死んだのち、私は母の遺骨を一年間墓に入れなかった。母は地元に墓を移したがっていたからである。しかし、なじみのない土地でも入ってしまえば、同じ墓に夫も子も一緒にいるのだ、と今の私は思っている。
それ以来年老いた両親を乗せて、年に何度も墓参りをした。帰りにはいつも父が昼食を奢ってくれるのだが、私にしきりにビールを勧める父を母がよく諌めていた。しかし、車中でのおしゃべりが私の運転の邪魔になると言って、父が母を諌めたこともあった。父は死ぬ直前、私に「先に●●(生地)に行って、私がもうすぐ行くからよろしく頼む、と伝えてきてくれ」と頼んだ。父は混濁した意識の中で、子供の頃の、家族が生きているふるさとに帰ろうとしていたのではないか、と最近思う。
2000年に父
がなくなってからは、母と二人で墓参りに出かけた。車中、母のおしゃべりが止まったときはうたたねをしていた。母がペースメーカーを装着して障害者2級になってからは、サービスエリアの障害者用の駐車場に止められるようになり、高速料金も半額になったから、私と一緒だといいよねと冗談を言う母だった。母が死んだのち、私は母の遺骨を一年間墓に入れなかった。母は地元に墓を移したがっていたからである。しかし、なじみのない土地でも入ってしまえば、同じ墓に夫も子も一緒にいるのだ、と今の私は思っている。
2004年に母がなくなってからは、墓参りに行く回数が激減してしまった。誰かのためでなければ、なかなか動く気になれない。
近年は運転することが億劫になってきたので、普段も車に乗ることがない。昨年の夏にバッテリーが上がり、そのまま師走になってバッテリー交換した。今年に入って乗ったのは6月に車検に行ったときだけだ。このお盆、一年ぶりに墓参りしようと思ったら、またもやバッテリーが上がっていて頓挫した。
近年は運転することが億劫になってきたので、普段も車に乗ることがない。昨年の夏にバッテリーが上がり、そのまま師走になってバッテリー交換した。今年に入って乗ったのは6月に車検に行ったときだけだ。このお盆、一年ぶりに墓参りしようと思ったら、またもやバッテリーが上がっていて頓挫した。墓地は新幹線の駅から歩いて行ける場所にあるので、行けない理由を車のせいにしてはいけない。そのお詫びといっては何だが、盆中、仏壇には灯明をつけ灯篭を回しつづけた。
ただちょくちょく路線廃止になるのが残念だ。今年の盆はガソリン高騰のせいで利用する人が増えたと聞くが、もっと使って隆盛にし、ますます便利な便にして貰いたいものだ。




