昨日の日本テレビ。松田選手と久世コーチが現地スタジオでインタビューを受けていたとき、東京のスタジオにいた明石家さんまらが、「二人の関係は?恋人?」などと言って笑いあう声が聞こえた。元NHK堀尾アナが司会だったが、あんたまで同調?
軽口を言っていい場所をわきまえよ。自重すべし。
以下、松田「自分色の」銅メダル/競泳 よりコピー
表彰台の上では“母親”を探した。20年間、母同然に付きっきりで指導してきた久世コーチは、松田の雄姿を写真に収めようと、スタンド最前列から身を乗り出していた。表彰式が終わると、松田は一目散に久世コーチの元へ駆け付け、手にしていた花束をそっと渡した。久世コーチの目から、どっと涙があふれた。
宮崎・延岡市の東海(とうみ)SCで2人は出会った。松田4歳、久世コーチ41歳だった。施設は保護者がカンパを出し合って、ビニールの屋根を張っただけの屋外プール。五輪メダリストが生まれるとは、誰も想像することはできない環境だった。
そこで通常の選手の約2倍、1日2万メートルも泳ぎ込んだ。そこに理論はなく、根性だけだった。順調に成長した。だが中京大進学の際に、久世コーチは1度、別れを決意した。夫と子供を残して、愛知県に住むわけにはいかないと思った。だが松田の「先生以外に教わるつもりはありません」という言葉に、突き動かされた。夫と子供は、愛知行きへの背中を押してくれた。
男性トップアスリートが女性に指導を受けるのは、極めて異例だ。だが松田は「恥ずかしいだとか、おかしいだとか思ったことはない」と胸を張る。中京大時代は同居しながら、まさに母親のように食事や身の回りの世話をしてもらった。
松田は「ずっと二人三脚でやってきた。久世先生のことは誇りに思う。こうして形に残せて良かった」と話し、首に銅メダルを提げた。久世コーチは「衝突もしたし、いろんなことがあったけど、頑張っていればこういう良いことがあるんですね」と、また泣いた。20年間かけて、2人で勝ち取った最高の結果だった。【高田文太】