井伊谷城は、浜松市浜名区引佐町にある比高90ⅿほどの山城です。井伊谷は、近世井伊氏発祥の地です。前々から井伊直政に興味があり、中世井伊氏の本拠地にあった井伊谷城を訪れてみたいとは思っていました。 訪城日:2024.5.9 晴れ
城址へは、東名三ケ日ICを降り国362号に入り、東に進み約9km先の清水橋交差点で左折して県320号に入り、北に約3km進み神宮寺信号を直進すると地域遺産センターに着きます。車は、ここの駐車場に置けます。城址は、背後の山なので建物の裏手の道を右に進み、多目的研修センター横の道を進むと登城口が見えます。主郭には、10分ほどで着きますが、あれこれ見ましたので、20分かかりました。
初め多目的研修センターの駐車場に着きましたが、どうもここは城人は使えないことが分かり、図にある地域遺産センターの方に向かいました。
地域遺産センターで、お城址から降りてからセンター内の常設展示「戦国の井伊谷」を見てきました。井伊谷城のジオラマがありました。
城歴
登城口の説明版に井伊氏について簡潔にわかりやすく書かれています。
井伊谷城は、井伊谷を根拠地とした井伊氏によって築かれたのは確かだとおもわれますが、築城時期は定かではないようです。ただ、居館との関連が下図のように推察され、遺構を考察している齋藤氏は「城としての軍事性は著しく低いし言わざるを得ない。」とし「戦争を意図した城館として理解することは不可能である。」と「日常的な拠点の一ヵ所として取り立てられた城館」と推察しています。
南北朝初期に、井伊氏が宗良親王を迎え遠江南朝方の拠点としたのが、要害性の高い三岳城にしたのもうなずけます。
終末は、齋藤氏は南虎口の石垣で固められた礎石立ちの門から天正年間(1573-92)頃を上限としています。
多目的研修センター背後にある登城口です。
「山頂までは、徒歩15分ぐらいです。(距離:約300m)」とあります。
山頂(主郭)までは、舗装され途中には「お休み処」も設けられています。これは、以前に大河ドラマ「おんな城主直虎」が放映された際に市が整備したようです。当城は小規模で登城路もさほどではありませんが、これほど立派な登城路は初めてでして、おかしいですが感激してしまいました。
西虎口横の写真になりますが、何か横堀のように見える道あります。この道は、主郭を全周していますが、残念ながら横堀ではなく遊歩道のようです。
主郭です。井伊谷城は、主郭のみの単郭で内部は二段になっています。土塁が取り巻いていたようです。虎口は二ヵ所で、大手の南 虎口と搦手の西虎口です。規模は、「長軸65ⅿ、短軸57ⅿほど、南側の土塁は幅2.5ⅿ、下からの高さ2ⅿほどです。」と、説明版に書かれています。
主郭からの見晴らしは素晴らしいです。井伊谷というと何か狭い感じを受けますよね。わたしもそんな感じを想像していましたが、訪れたら以外にも広々とした田園風景で開放感のある地でした。それを一望する主郭からの風景でした。
主郭上段は、自然地形のようで大きな石が転がり「井の宮石陵」の標柱があり、祭祀空間と考えられているようです。この地は、城の南西にある天白磐座遺跡と北東の三岳(御岳)神社の中間地点に当たり、城が居館の詰めの城という軍事的なものより、祭礼の場として築かれたものと考えた方が合理的あると齋藤氏は述べています。実際に訪れて。考えてみますと納得できます。
下段は、削平されていたようで屋敷などがある空間と思われるようです。
南虎口で、平入りで虎口の両側の土塁は高く、その壁面に石垣が3段程見られます。
草に覆われて見にくいですが、一抱え程の石が数段(3段は確認)積まれています。礎石たち門が想定できるようです。この石垣から天正期までの時期が推定されると。
西虎口で、平入りです。
周辺には、井伊氏等に関わる遺跡があり、歩いて訪れることができます。
その中で二ヵ所行ってきました。
ここだけを訪れていろいろとみて回るのもいいのかな~と、思いましたが、いつものごとく別の城址に急き立てられるように行くんです。どうも、このパターンは変わらないですな。
参考文献
『東海の名城を歩く 静岡編』 中井均・加藤理文編 吉川弘文館