浄福寺城は、八王子市下恩方町にある比高約160ⅿの山城です。以前、この周辺の城址へは、よく行っていましたが、コロナ禍もあったためか、全く訪れる機会がありませんでした。今回、上越の城友のえいきさんより浄福寺城へのお誘いがあり、久しぶりの浄福寺城なので城友のノラさんもお誘いしまして、いってきました。   訪城日:2024.4.15  晴れ 

 今回の訪城が、4回目になります。2回目の訪城の後に、浄福寺城ーその壱その弐ーとしてブログに載せています。3、4回目の訪城では、2016年に出た『歴史家の城歩き』を参考にして回りましたので、齋藤説の確認といった感じになりました。

 上の縄張図は、斎藤慎一氏作図「東京都江戸東京博物館研究報告第6号」から借用し、説明のため加筆しています。赤線は、斎藤説の大手筋と搦手筋?と推測し記入しています。

 登城口は、やはり浄福寺からが一般的で、わたしも4回ともこちらから登ります。大手筋と思われる恩方一小方からは、以前より道が荒れていて登るより降りてくる方をお勧めします。本堂左手の墓地奥にある白山神社横から主郭南虎口に至る登城路があります。

 白山神社から少し(比高50m)登ると観音堂が建つ平場があります。南尾根②の先端部になり、眼下を通る街道の見張所があったのでしょうか。

 観音堂の平場からなだらかな登り坂(比高50m)を約200ⅿ行くと、そそり立つ切岸に着きます。この南尾根の防衛拠点なのでしょうかね。

 写真奥にある切岸は高7~8ⅿほどで、その上に2段の小平場があり、切岸手前に細尾根をさらに狭める竪堀が設けられていますので、攻め手とするとかなり苦戦を求められるかと。かなり手の込んだ造りとなっています。さらにですが

  そのさらにですが、切岸の真ん中に竪堀があるんです。現在はここを登り道として使っているようですが、本来の城道は左手を「く」の形で行くようです。このような切岸の竪堀は、それなりに山城を訪れていますが,見たことがありません。ほんに珍しいです。ただ、どんな役

割を考えて掘ったんでしょうかね。

 縄張図は、『歴史家の城歩き』から借用。

 また少し(比高50m)登ると主郭です。主郭には二か所の虎口があります。

①南虎口(虎口d)は、スロープ状に登る坂虎口で上から横矢が掛かる仕組みになっています。

②東虎口(虎口C)は、主郭から舌状に突き出た突端に土塁で囲われた枡形の虎口です。

ただ、二か所の虎口のほかにも虎口が見られます。

 上図の中央虎口です。東虎口から入った後、主郭中央部にある一段高い平場に向かう道と、南端に沿って主郭に入る道です。主郭中央部の高い平場は、櫓台というより「軍事生以外の性格を読み解いた方がよい」とお二人の意見は一致しています。

 現在は、藪に覆われて判別しにくくなっています。

 

 どうも、浄福寺から南尾根を登り主郭に至る登山道は、道もはっきりし整備もなされているようですので、主郭までは訪れる方もいるようです。どうもその先は、以前と比べると荒れていて一般的なハイキングコースとは言いにくいです。まぁ~、城巡りの方でしたら普通といった感じではありますが。

 

この続きはーその参②ーで。

 

参考文献

『歴史家の城歩き』 中井均・齋藤慎一著 高志書院