千見城は、大町市美麻千見にある比高240mの山城です。千見とは「狭い谷間」を意味するようで、登城路も沢沿い谷間を登るしかない険しい岩山の上にあります。この地は、北安曇と上水内郡(善光寺)を結ぶ主要交通路にあり、この地を抑えることが戦略上重要であったと思われます。そのため、戦国期特に天正壬午の乱においては、上杉・小笠原の争奪戦が激しくおこなわれました。
訪城日:2012.10.20 晴れ
 イメージ 2城址へは、長野市街から国19号で西に向かい、長野市七二会(なにあい)の笹平信号で県道31号(大町街道)に入り、16kmほどにある切石トンネル手前を右手の道に入り少し行きますと小橋があります。そこが登城口です。登城路は、沢沿いを登り、途中から道が狭くなり最後は危険度の高い道になります。ほぼ30~40分ほどて主郭です。
イメージ 1
 
 主郭にある美麻村教委の説明板によりますと、天文年中村上義清の命により小川の大日方氏によって築城されたとあります。また、別に「千見城攻防の詳細(戦国時代)」の説明板があり、当城の歴史がかかれています。《 》は補則です。
1.天文21年(1552)信玄の臣山県昌影の軍勢に攻められ激戦の末、主将大日方源吾長辰は討死にし、以後大日方氏は武田に服属する。
《天文21年の戦いは、武田勢の北信濃侵攻参戦の一環で仁科口に位置する千見城が攻められ落城し、大日方氏が8月に武田に帰属した。その際、当主直忠の嫡男直経が武田への従属を拒み一族の手によって攻められ自害させられています。なお、山県昌影→昌景がいいようです。》
2.弘治元年(1555)武田晴信は、地侍大日方主税助に、千見城を攻略させ、その功を賞した。
地侍大日方主税助は、直忠の三男直長と思われ千見城の東2km程の小根山に居住する土豪で、武田氏からは長坂虎房(のちの釣閑斎)が派遣されています。上杉勢の千見城を攻めて落としたということのようです。この事件が千見城の戦国期の確実な史料で、天文24年(1555)の武田晴信感状(「戦国遺文武田氏編」430号)です。大日方美作入道(大日方直忠か)が千見城を乗っ取った際に、大日方主税助が奮戦したことを賞して太刀一腰を授けている。
3.天正11年(1583)4月24日武田氏滅亡後、上杉景勝の領有となり、大日方佐渡守に命じ、千見城 の武備を固めさせた。
《武田氏滅亡を天正11年としていますが、天正10年の間違いです。有名な事項を村教委が誤記してはいけないと思うのですがね。どうも城址の説明板などにこの手の間違いがよく見られるのはとても残念です。大日方佐渡守は、2の大日方主税助と同一人物と思われます。》
4.天正12年2月29日松本平を掌中にした小笠原貞慶は、安曇郡仁科衆に命じて、千見城を攻略させ、貞慶の将沢渡盛忠、渋田見源助らに、千見城番を命じている。
5.天正12年4月千見城を奪還した景勝は須田信正に千見城番を命じた。
《「上越市史別編2」直江兼続書状2910号》
6.天正13年貞慶麾下の仁科勢に攻略されたので、景勝はその将小田切左馬助に千見梨窪で仁科勢を討ち取らせ、左馬助の功を賞している。
《「上越市史別編2」上杉景勝感状3057号》
7.天正14年6月これより先、千見城を重ねて手中にした貞慶は当城の普請奉行として仁木盛正らを遣わし、仁科衆は盛正らの指図により、千見城の普請をするよう厳命している。
8.天正17年9月貞慶の子貞政は仁科衆の一人である浅野久右衛門に命じて千見城在番とした。
9.天正18年豊臣秀吉の命により、上杉配下の武将が占拠していた千見城を小笠原氏領地糺明のため、信濃に派遣されていた石川康正らに明け渡すことになり、ほどなく千見城は石川氏の支配下に落着した。
《「上越市史別編2」豊臣秀吉朱印状3389号》
※縄張図は、「図解山城探訪」から借用し、説明のために加筆しています。
イメージ 5イメージ 6
 
 登城口の橋から沢沿いに登りますと、「仲場」と呼ばれかって人が住んでいた処のようです。その痕跡がこの墓石ですね。ちょっとした平場があるだけでこんな所に人が住んでいたとは・・・です。城イメージ 3へは、この辺りから狭く急な道になります。
 
 
 
 
イメージ 4
 仲場から北西尾根に行く途中の(あ)地点から見たC地区で、写真ではよく分からないと思いますが、上部は大岩壁です。(あ)地点からC地区へ行く道があり、帰りに通りましたがかなり危険な道だったです。
イメージ 7
 
 
 
 
 (い)地点で、北西尾根上の鞍部です。ここから主郭背後の大土塁まで岩壁の合間を縫うように進み、下を見ますと深い谷間で落ちたらそれまでのようでした。
 
イメージ 8
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 途中にあ堀切と云うか、両竪堀で尾根を狭くしています。この辺はなかなかスリルある城道で、一人訪城は避けた方がよさそうな場面でもあります。
 
少し長くなってしまいましたので、城址の諸々は―その弐―で。