とりあえずの物置倉庫

とりあえずの物置倉庫

町歩き(城めぐり、屋根神様めぐり、古レールめぐり)などを中心に書くつもりだが、他のことも書くかもしれない。

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2014年12月29日(月)


愛知県から横浜、仙台と行ったついでに、宮城県女川町の様子をみてきた。


滞在時間は2時間程度で、一部の範囲しか回れてないうえに、震災以前の様子は知らない。

よって、震災以前と以後の比較や、細かいところの観察はできないのだが、被災地の状況がどうなっているのか、現地に行って確かめることにした。

女川町は宮城県の東端に位置する。

女川漁港はサンマ漁で有名。


「死亡率=(死者数+不明者数)/(死者数+不明者数+避難者数)×100としたとき、東日本大震災で最も高い死亡率となったのが女川町の55.9%だった。女川町が甚大な被害であったことを物語っている。津波の高さは20mにも達したため山間の集落までもが全壊の被害となったのである。」(引用1)とあるように、宮城県の港町の中でも被害は甚大だった。


津波の高さは女川漁港の消防庁舎の浸水高14.8m(引用2)であったという。


町の人口は「住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数調査」によれば、

震災前の2010年10,232人であったが、

震災後の2014年のデータでは7,512人となっている。


今回、女川まで訪れた経路は、

仙台駅→松島海岸駅→矢本駅→石巻駅→浦宿駅→女川駅→浦宿駅→小牛田駅→仙台駅


松島海岸~矢本間と浦宿~女川間は代行バスの運行となっている。

12時25分浦宿駅発で女川駅バス停に12時33分着

女川バス停を14時30分発で浦宿駅に14時38分着であったため、滞在時間は約2時間。



石巻駅キハ48系


石巻駅。

松島海岸駅から代行バスに乗り矢本駅で、キハ48系石巻行きに乗り換えて到着。

石巻駅駅舎

石巻駅の駅舎


石巻駅駅名標

石巻駅の駅名標


浦宿駅

JR石巻線で浦宿駅まで行く。

浦宿駅の駅名標の東隣の駅(女川駅)はシールで隠されている。


代行バスで鉄道が不通となっている区間はたいてい、駅名標からシールで隠されているが、浦宿駅でも同様だった。


女川駅

浦宿駅から女川駅を通る代行バスで女川駅に。

といっても、かつての女川駅からはやや離れた高台にある。


町民バスなどのバス停である女川総合運動公園前と同じ場所に代行バス用のバス停がある。


女川駅遠景

バス停の遠景


仮役場案内


先ほどのバス停から南に道路を進むと女川町の仮役場の矢印がある。
仮役場


女川小学校の隣に女川町役場がある。

この日は年末年始ということもあり、開いてない。


献花台

もう少し南へ下ると共同墓地と献花台がある。



献花台より

献花台からの眺め。

まるで新しい宅地を造成しているかのように錯覚するが、津波が広範囲に押し寄せたということだろう。


がれきの撤去はだいぶ進んだようで、新しい女川駅の駅舎などがみえる。


JR石巻線は2015年3月21日に全線再開し、女川駅は「震災前より約200メートル内陸で、7メートルかさ上げした場所に移設される」(引用3)。

また、かつての女川駅近くにあった、女川町温泉温浴施設「女川温泉ゆぽっぽ」も同年3月22日開業予定(引用4)。


すこし降りたところからの眺望

引き返して、高台からみて東側のふもとの様子。

こちらもだいぶ波が押し寄せ、侵入したのだろう。

海からだいぶ離れているはずなおだが、ここまで津波が押し寄せると考えた人はいないだろう。


記念碑


女川小学校の駐車場の脇に置かれた石碑。

倒れているが、わざとなのかはわからない。


震災の記念碑のようだ。


女川温泉


女川温泉。

被災者用のお風呂の簡易的な設備のようだ。


マンホール1

運動公園あたりの道路にあった女川町のマンホール。


仮説住宅

仮設住宅。


ペットボトル花壇

ペットボトルで囲った花壇。

仮設住宅の軒先には花などを飾る家が多い。


モデルルーム展示場

仮設住宅を見学できるところ。

この日はお休み。

野球場内住宅

野球場内にも仮設住宅が建設されている。



野球場跡

野球場の設備がそのまま残る。



競技場トイレ

野球場の隣にある

陸上競技場のトイレ。


陸上競技場は芝生もそのまま残っている。

トイレは使えない。


この日は雨で寒く、トイレがあれば利用したかったのだが、どの施設も休みだったり、このように使えない旨の張り紙がされている。


「水抜き中に付き

トイレ使用禁止」


下水の復旧も大変なのだろう。


代行バス待機

先ほど乗ってきた代行バスが競技場近くで待機している。

なお、この奥に、新しく作ったであろう消防署などもあり、町の基本的な施設を高台に移している。


マンホール2

近くの小さな住宅街でのマンホール



この日は雨で、食べ物を買えるところもみあたらないので、先ほどの仮設住宅内の自動販売機で温かいコーンスープを買う。

赤い羽根募金の自販機だったので、気持ちで10円募金しといた。


代行バスの時刻になったので、再び乗り込み、浦宿駅に戻る。

車窓(港)


バスの車窓から。

わかりにくいが、港の方の写真。

漁港はわりと整備されていりように思える。


崩壊建物

同じく車窓から。

倒れたままの建物。

あたりはだいぶがれき等も整備されている中、インパクトが強い。


浦宿駅

浦宿駅に到着。
浦宿駅堤防

浦宿駅の海側に設置されている堤防。


レール止め

まだこの先のレールは走れない。


車両の発車時刻が迫ってきたので石巻行きに乗りこむ。

石巻駅からJR石巻線を経由して小牛田駅まで行き東北本線で仙台駅に戻った。



≪引用・参考文献≫

詳しい被災状況やその様子は以下のサイトなどを参考にしていただけるとよい。


(引用1)「女川町を襲った大津波の証言」(2015年1月3日閲覧)

http://memory.ever.jp/tsunami/shogen_onagawa.html


(引用2)「東北地方の港湾における被災状況について(現地調査速報) | 独立行政法人 港湾空港技術研究所」(2015年1月3日閲覧)

『別紙1:東北地方の港湾における被災状況について(現地調査速報)』

http://www.pari.go.jp/info/tohoku-eq/20110323.html


(引用3)

「"石巻線、来年3月21日全線再開 | 河北新報オンラインニュース"」(2015年1月3日閲覧)

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201412/20141209_13013.html


(引用4)

「観光される方へ | 女川町」女川町公式Webページ内(2015年1月3日閲覧)

http://www.town.onagawa.miyagi.jp/raihou.html


「震災前と後の風景<女川町> - しゃしんときじ - 東日本大震災の記録・市民協働アーカイブ|3がつ11にちをわすれないためにセンター」(2015年1月3日閲覧)

http://recorder311.smt.jp/blog/29649/


「被災前と被災後の女川 - Before Tsunami comes and After Tsunami came」(2015年1月3日閲覧)

http://www.geocities.jp/nukezo_hp/

竹鼻駅は名鉄竹鼻線の駅。


ホーム上屋に7本、改札近くに2本。


「CARNEGIE 1913 ET IIII」

全て刻印は同一のようだ。


意味は製造社→カーネギー(アメリカ)→製造年→1913年、工場→エドガー・トマソン、製造月→4月



竹鼻駅上屋

訪駅日 H26年11月20日

石仏駅は名鉄犬山線の駅。


上屋に古レールが使われている。


「CARNEGIE 1913 ET IIII ~?~」


製造社→カーネギー(アメリカ)、製造年→1913年、工場→エドガー・トマソン工場、製造月→4月



石仏駅上屋

訪駅日 H26年11月30日

矢作橋駅は名鉄名古屋本線の駅。


古レールの上屋がある。

「CARNEGIE ???? 5(?)0 A」


製造社→カーネギー(アメリカ)



矢作橋駅上屋

訪駅日→H26年11月29日

西幡豆駅は名鉄蒲郡線の駅。


古レールの上屋がある。


「CARNEGIE 1911ET IIII」


刻印の意味は

製造社→カーネギー(アメリカ)、製造年→1911年、工場→エドガー・トマソン工場、製造月→4月


西幡豆駅上屋

訪駅日 H26年11月15日