(0)思考は現実化する

これは真実である。

この法則を使って人生を思うようにすることが、なぜ難しいのか。

 

もしも顕在的な思考が現実化するのであれば、話は簡単である。

現実的な努力をすればいいし、アファメーションもいいかもしれない。

 

だが実際は、意識が捉えていない無意識下の思考が現実化する。

潜在意識は顕在的な努力よりも、はるかに強く現実に作用する。

 

ここで、私たちが明確にすべきポイントが明らかになる。

潜在的、すなわち意識でコントロールできない思考に、どのようにアプローチすべきか。

私たちが意識的に使えるのは、顕在意識である。

だから、どのように顕在意識を使えば、潜在意識をコントロールして、望む未来を現実化させるかが重要である。

 

(1)現実化とは

ここで、現実とは物質であるとする。

現実化できる、とは単に気分や感情が変わることではない。

それらは重要ではあるが、ここでいう現実化には該当しない。

質量のある有体物が、自分が思ったような形で現れることを現実化と定義する。

 

(2)最も簡単で早い現実化

現実化のための具体的手段が分かっている場合、顕在意識で自分の体を動かして現実化するのが最も近道である。

例えばお腹が空いたらコンビニエンスストアに行き、食べ物を買って、空腹を満たせばいい。

試験に合格したかったら、勉強をすればいい。

質量を持った現実世界で結果を得るためには、自分の体という有体物を使うのが手っ取り早い。

思考が現実化するとしても、無から有を生むのには、それなりに時間がかかる。

有から有を生む方が早い。

 

しかし、望む未来を得るための具体的方法が分からないことがある。

そんな時に、意識できない思考、すなわち潜在意識の出番となる。

 

(2)潜在意識を知る

潜在意識へのアプローチにはコツがある。

(2−1)先ずは現状把握する。

潜在意識を直接知ることはできない。

だけど、潜在意識が現実化しているのだとすると、現実から逆算して潜在意識を推測することはできる。

潜在意識の思考には以下のようなものがある。

・常識として刷り込まれていること

・自己否定

潜在意識を推測することは、無意識の思考を、顕在意識に引き上げることである。

 

(2−2)取捨選択を決める

現実化して欲しくない思考は捨てると決める。

全ての思考は思い込みである。真実は一つもない。

過去に起きた辛い出来事を理由に、何か思い込みを持つようになったのかもしれない。

だけどそれは、その思い込みがあったからこそ起きた出来事である。

 

(2−3)捨てるべき思考を捨てる

潜在意識にあった思考も、一旦認識すれば、次からは顕在意識でも捉えることができるようになる。

したがって、その思考が湧いてきたときは、顕在意識はそのことに気づき、

「ああ、これは捨てると決めた思考であり、真実ではない」と自分に言い聞かせる。

その思考はすぐには消えないが、少しずつ確実に減っていく。

 

(2−4)兆候を発見する

思考が少しずつ減少するが、現実はすぐには変わらない。

それなりに時間をかけて作られた現実だし、思考の減少は少しずつだからである。

一見変わらない現実の中に、わずかでも変化の予兆を発見できれば心強い。

 

現実とは物質のことだから、それを変えるにはある程度時間がかかる。

 

 

 

 

外出自粛によるお篭り期間中、この暇な時間を活用して仕事の勉強をしなければ、と思いつつやる気が起きず、アニメの見放題プランに入会してしまっていました。


自分の能力への自己嫌悪と、コロナ後の不況への不安から、今頑張らないと、取り残される、落ちこぼれる、生き残れない、と、アニメを見ながら自分を責めていました。

そこにあるのは、ダメな私という無価値感と、そのダメな私のままでいることへの罪悪感。
振り返ってみれば、このお篭り期間中だけでなく、この二つは、いつどこで何をしていても当たり前のように私にこびりついている感情でした。

私が積極的な行動を取ったとき、能力ないくせに調子乗るな、と叱り付けて無力感を煽る。
消極的だと、無能な癖に努力が足りないと罵って罪悪感を煽る。
そんな厳しい私が頭の中に巣食っていました。
(恐ろしいことに、この暴君っぷりは現実の部下にも同じように発揮されていましたガーン


自分を嫌う思考から出た行動は、その感情を増幅させる。頑張れば頑張るほど、この罠にハマって、私は私をさらに苦しめ続けていました。
Happyちゃんのブログを読んで、この現象を客観的に見ることができ、とっても良かったです。

特に、単に自分を甘やかすことと、自分に寄り添うこととの違いの解説が秀逸。

厳しくするのでも甘やかすのでもなく、愛を持って自分を見守り成長を促す。
せっかく出た芽を踏み潰したら死んでしまうし、過保護にしたら強く育たない。
よーく観察して、必要なものを適切なタイミングで与える。
そういう風に自分に接していきたい。


人に何かをやって欲しい時

その人の意に反して何かをさせることはできない。

だけど、その人がそれをしたくなるように働きかけることはできる。それがお願いするということ。

自分の意に反することはしなくてもいい(それをしたくないと言っているのがチャイルドの場合は除く)。
自己犠牲は被害者意識を美化したものに過ぎない。

自己犠牲は愛ではない。
相手がいうことを聞いてくれないのは、愛がないからではない。
それをすることによっていい気分になれるだろうと相手に想像させるための工夫が足りていないだけだ。

何が相手をいい気分にさせるのか、それを知らないとすれば、そのこと自体、愛がない。

相手が私のために動いてくれる。
そのためには、それが相手を気分良くさせることなのだと、相手に気づかせる必要がある。それが上手なお願いの仕方だ。

そして自分が相手のために動く時も同様である。自己犠牲で自分を誤魔化してはいけない。