今週は仕事関係が必死な1週間だった。

26日には「Back Cindy」の千秋楽にも行ったのだけど、
その余韻に浸れないくらいな感じで。

9月もずーーーっと必死が続く…と考えていたら、
楽しいブログが書けなくなりそうになったから
過去の思い出話を。


たぶんあれも秋の始まりの頃だったと思うのだけど、
私が高校生だった時、駅で電車を待っていたら、
20代半ば位の女性に話しかけられた。

どうやら、別の土地から私の地元(群馬県)に
丁度その日にやってきたばかりで
他に知り合いがいないのだと言う。

気さくで感じのよい、優しくて真面目そうな女性だった。

別の土地ではOLをしていたが、
訳があって仕事は辞め、自分が信じている宗教を広めるべく、
群馬に一人でやってきたのだと言う。

彼女が信仰していたのはカトリック系の宗教だった。

一度、教会に遊びに来ないかと誘われて、
当時の私は部活も辞めてしまい暇だったのかな…??
「いいですよ」と答えて教会に遊びに行くことにした。

私は無宗教ながら、
幼稚園も高校もキリスト教系の学校に通っていたので
教会に行くことに抵抗がなかったのだ。
(毎朝、校内の礼拝堂で礼拝の時間があり、
聖書を読んだり賛美歌を歌ったりしていたから)。

それから定期的に彼女に会いに教会に遊びに行った。

教会には他にも沢山の信者の方がいて、
聖書に関するお話を聞いたり、賛美歌を歌ったり、
他愛のないことを雑談したり、お菓子を食べたり…
結構楽しく過ごしていた。

そしてある日、彼女の自宅に遊びにきてと誘われ
遊びに行った時、洗礼を受けないかと言われた。

私はいつかそういうお誘いがあるだろうなと、
ずっと思っていたから特別驚くことはなかった。

その頃の私の神様は、とあるミュージシャンだったし、
将来の夢もあって、彼女のように地元を捨てて
宗教と共に生きる決断は今はできない…的なことを言ってお断りした。

彼女はそれ以上、勧誘してこなった代わりに、
その日が、彼女と顔を合わせる最後の日になってしまった。

その女性の名前とか顔とか詳しいことを、
今となっては全く覚えていないのだけど、
どうしているかな…と時々思い出す。

中途半端な人との関わり方はよくなかったのかな…
(宗教に関心がないのに、教会に遊びに行ったりしたこと)
と思いつつ、信じるものが違うと、
縁は切れてしまうのだろうか…と、
当時は考えてしまったりしたものだ。


ちなみに、私の高校には聖書の授業があって、
通知表で5をもらえるのはクラスで1~2人しかいなかった。

そんな中、1~2年生の間、私は常に5をもらっていた。

聖書のテストは、ほぼ毎回、聖書の一文を読んで、それについて
自分が思うことを自由に書きなさい…という内容だった。

それがある日、4になってしまった。

聖書の先生に「なぜ、4なのか」と聞きに言ったら
(今思うとよくもまぁ、そんなことを聞けたな…と思うが^^;)

「○○(私)さんは、なんだか考え方が変わってしまったから」
と言われた。

確かに。思い当たる節はあった。

当時の私の神様はブランキーで、
例えば「☆☆☆☆☆☆☆(人殺しの気持ち)」を聴いて、
腐った奴は殺してもいい…的な、
少しとがった考え方に傾倒していたから。
好きな人や物に影響されまくってしまう思春期というやつだな。

テストの作文に書くような表面的な文章であるとしても
赦しや、慈悲の気持ちの欠如を、先生は感じ取ったのだと思う。

今思うと、ちょっと遅いけど、
その頃が私にとって自我の芽生えの時だったのかな…と思う。

懐かしい思い出だな。。。