ちょっとブログテーマからは、外れるんだけど、Twitterに流れてきたツイートで気になったのでメモ的に。

 

最近、あちこちで批判され、炎上している心屋仁之助氏。

先日、ブログでこんなこと言ってたみたいですよ。

例えば僕なら

 

「なんか、色々SNSとかで

    ひどく叩かれるんです」

 

だとしような。

 

 

「で、どうしたいの」

「で、どうするの」

 

 

うん

そんなやつら蹴散らして

ぶち殺してやるヘ( ̄∇ ̄ ヘ)

 

 

ですね。

 この人、心理カウンセラーとか、性格リフォーマーとかいう触れ込みで出てきたと記憶しているんだけど、最近は「カウンセラーじゃない」とか言ってるみたいですし、自分としては、まるっきり「カルト」としか思っていないのですが(笑)、いよいよオワコン感が明確になってきたように見えます。まあ、信者さんは、氣にせず「ぢんさん最高!」とか言ってるんでしょうが(笑)。

 

 上の書き込みを見て、最初に思い浮かんだのが、ドラえもんのひみつ道具「どくさいスイッチ」。

(知らない人はググってみてください)

 簡単に言えば、自分の気に入らない人間を次々と消していく道具で、それを繰り返すうちに、地球上には、のび太ひとりになってしまうという、ちょっと怖い話なのですが、そんな子供用の漫画を彷彿とさせる今回の記事です。

 

 

 まあ、彼らは、自分さえ良ければ、周りに迷惑をかけても何しても良いっていう、社会性の欠片も無いことを平気で言う人達ですので、今回の記事自体も、それ程、びっくりするわけでもないんですけど、某カウンセラーさんが心屋氏のことを「馬脚を現した」と評していたとおり、最近では、自分たちの異常性を隠すことも無くなってきたようです(気づいてすらいない?)。


 心屋氏の信者には、自己肯定感、自己評価の低い人が多いように思えます。

 「こんな自分に価値はない」「こんなことをしてしまった自分」「こんなこともできない自分」…。

 

 そんな人たちにとって、「そのままの自分で良い」という彼の言葉は救いになるでしょう。

 確かに、そのとおりです。どんな人にも価値はあります。

 

 でも、それは彼が言うように「子供を叩いても良い」「人に迷惑をかけても良い」ということではありません。

 

 日本には「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。

 

 何か間違いを犯してしまった、失敗をしてしまった。だからといって、その人の人格否定にはつながらない。

 それは、心理学やカウンセリングの基本中の基本です。

 

 ところが彼は、逆に、その人格否定をしないということを行動の肯定につなげてしまっている。そこに問題があるわけです。

 

 どんな罪を犯してしまっても、例えば、間違って人を殺めてしまったとしても、母親は子供のことを愛しているでしょう。

 しかし、それは「殺人という行為」の肯定につながらないことは、まともな社会性を持っている人であれば明らかです。

 

 そんなことすら、彼の信者はわからなくなってしまっているんですかね…。

 

 先日、死刑が執行された、麻原彰晃が率いていたオウム真理教。

「ポアする」

 という言葉は、その頃の彼らの事件を記憶している人にとっては、懐かしいことばかもしれませんが、今の心屋仁之助氏の信者たちが、そのような凶行に走らないことを危惧しています。

(それに対しても、当の心屋仁之助氏は「知らんがな」で済ませるのでしょうけどね)

 

 ホントは、リンクなんか貼りたくないけど、一応、はっておく。