2022-12-30 (金)

 

今日は鎌倉にやってきました。

 鎌倉八幡宮と宝戒寺を散策した後は、頼朝のお墓参りです。

 

宝戒寺から北へ歩いて10分。

なんと、そこには北条義時のお墓もあるではないか。

以前、頼朝のお墓は来た事があるが、その時は、北条義時なるもの、知らなかったのだ。

 

頼朝のお墓は、ご覧のような階段を登る。

富士登山のように行列が出来ている。(富士登山はしたことは無いのだが)

 

階段を登りきったところに、史跡 法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)とある。

 

▼源頼朝の墓

 

隣に大きな木があります。

地図上では、ここから右側に回れるようになっていますが、ロープが張ってあって行けません。

 

いったん降りました。

こちらは、下が広場になっていました。

ここも、「史跡 法華堂跡」という説明がありました。

法華堂というのは、亡骸が葬られたお堂のことのようで、頼朝と義時がここに葬られたようです。

上の写真の人が集まっている前にあるのが、「三浦一族のやぐら」です。

その前まで行ってみました。

▼三浦一族のやぐら

北条義時 1224年没 2代執権 「鎌倉殿の13人」終わる

北条正子 1225年没

三浦吉村 1239年没 「鎌倉殿の13人」で山本耕史が演じたあの曲者

北条泰時 1242年没 3代執権

北条経時 1246年没 4代執権

三浦泰村 1247年没 三浦吉村の次男 宝治合戦で敗れる

北条時頼 1263年没 5代執権

 

宝治合戦で三浦一族、500人はここで自刃した。

三浦吉村没後、三浦氏は北条氏に敵対し、敗れたのでした。

 

階段を上るとお墓が3つありました。

 

▼島津忠久の墓

 

▼大江広元の墓

 

▼毛利季光の墓

 

大江広元と毛利季光の墓の間には、このようなものが。

何でしょう。

 

この時代の日本は、ものすごい争いがあったんだ。

 

つづく